あおみ労務事務所
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「晴耕雨読」という言葉を、今しみじみ味わっています。
「晴れた日には畑を耕し、雨の日には読書する」すこぶる人間らしい気がします。
宮澤賢治が「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・」と手帳に記したように、このページでは、心に浮かぶままの考え・感想や日常での出来事、変わりゆく景色などを、詩やエッセイなどの形で、気軽に綴っていきます。
2012.02.05(San)
川柳七句

背表紙を変えて今年の顔つくる

この海に孤独な日々を重ね合う

背に受ける夕日かなしい色だろう

逞しい根っこになれと麦を踏む

美しい被写体 孤独という匂い

まだ恋をしたい踵が地を踏まず

さよならが増えて冬の実が赤い


説明: s-IMGA7108 (2).jpg
水彩・カフェ



2012.02.04(Sat)
本社句会

今日は、岡崎川柳研究社の「本社句会」(岡崎市両町 両町公民館にて)に初参加。
立春の日に、「新年句会」とは驚きだが、お年玉交換などあり、それなりに楽しかった。

宿題は、「竜・辰」、「はがき」、「初詣」。
いつもどおりの一夜漬で、下のようにやっつけた。

 ストレスを抱えて竜が玉を吐く

 なで肩の竜はやさしい風に乗り

 再びの維新よ竜の翔け上がる

 日展を告げるハガキが春を呼ぶ

 海からのはがきは春の匂いした

 生きているハガキ細かな筆使い

 少子化の風が吹いてる初もうで

 初詣 おだやかな日の海光る

 めいはりが利いて豊かな初詣

会場に着くと、主幹から選者に任命。どうやら初参加の洗礼らしい。
昼食が終わるやいなや、「初詣」の選に取り組んだ。

選者とは、何ともいい気分。
加えて、川柳作品の良し悪しの目利きが確かなものになる。

披講のできは、自分で言うのもなんだが、まずまず。
このくらいの会で、修行を積むのもいいことだろう。

さて、結果は、「なで肩の竜はやさしい風に乗り」が特選。
「再びの維新よ竜の翔け上がる」と「海からのはがきは春の匂いした」が入選。

「めいはりが利いて豊かな初詣」を軸吟とさせてもらった。
岡崎の仲間と一緒に笑い合い、なんとも豊かな本社句会だった。



2012.01.14(Sat)
川柳七句

追伸の文字が真っ赤に色づきぬ

しあわせのかたちを探し雲動く

行き先は知らず夕日もパスに乗る

少しだけ勇気をくれるシクラメン

饒舌な空へ紙飛行機を飛ばす

その先のせりふを自転車でさがす

コスプレが師走の街に降って来る




2012.01.03(Tue)
書き入れ時

昨日の20`歩行の疲れか、今朝はシックリこない。
地に足がついていないという幽霊状態だ。

空は青く、恐ろしい事件もなく、風も平和を噛みしめるように幾分暖かく吹いている。
どの色が足りぬのか、滑り台の滑り具合が悪いのか、クロガネモチの実が褪せているのか?

無論、無になれるはずもなく、この精神状態に耐えることもできない。
歩くことで紛らしてきた鬱憤が、タイヤの空気漏れのように、少しずつは抜ける。

かといって抜けきらずに、濃い部分だけが心に居残っている。
「居残り佐平次」のような奴が、胸の内を掻きまわしているのだろうか?

少し楽しいことを考えよう。
「書くとき」「描くとき」は、楽しいことを思って、だ!

話は変わるが、「かきいれどき」という言葉がある。
商売で最も売り上げが見込める時期のことを言うが、漢字ではどう書くか?

正解は、「書き入れ時」。
「帳簿を書くのが忙しい」から、「書く」という字を当てたのだそうだ。

商人といえど、「お金を掻き集める」のでは、品性に欠ける。
品格を尊び、品の良い行いをしなければいけないのだろう。今年の目標のひとつにしよう。

道草をしたせいか、ちょっと心が落ち着いた。
爪先が微かに地に触れた、気がした。

この調子、少しずつ・・・・・


 まだ無にはなれずイチゴの甘さ恋う           比呂志



2011.12.11(San)
川柳七句

黒板をきれいに拭いて明日を待つ

父に似た樹が夕焼けの色になる

海を恋う海が大きくなってくる

凍らないやさしさ何度響いたか

答えのない回転ドアで待つ明日

幸せのかたちで木々の根っこ這う

風に立つ小さな傷と寄り添って



2011.12.04(San)
冬の日

 
冬の日が赤く途方に暮れており        鳴戸奈菜『微笑』

師走に入った。
少しずつ寒くなってきて、また何かが始まる予感。

逡巡する晩秋の迷いを抜けて、師走は気持ちが幾分吹っ切れていく。
多忙な季節が、たぶん悩みも迷いも消していくのだろう。

「冬の日が赤く途方に暮れており」。
「途方に暮れる」のは、終わりなのか、始まりなのかを問うているのだろうか?

冬の始まりは、しかし、1年の終わり。
胸の内でいつしか始まる葛藤が、冬の夕日に照らされて、赤く赤く色づいていく。

 まだ木偶でいられる温さ冬木立

一昨年の初冬の句が思い出される。
「まだ木偶(でく)でいられる温さ・・・か。

凍てついた風でなく、秋と綱引きしているまだ温い風だ。
12月とは、そんなふうに、幸せな季節なのだろう。

街のいたるところにイルミネーションが灯った。
幸せを演出する初冬のコスプレが瞬いている。

それが季節の始まりなのか、終わりなのか?
赤い夕日に問うことにする・・・・。


初冬の夕日



2011.11.20(San)
刈谷ハイウェイオアシスと洲原公園

昨日の雨から一転、日差しが暖かい。
晩秋の風は、もう少し冷たいはずなのに、ちょうど良い感じだ。

この季節、香嵐渓や大滝渓谷は、さぞ紅葉のいい味を出していることだろう。
暖かい風に吹かれて、紅葉狩り、といきたいところだが、肝心のお供がいない。

遠方まで同伴してくれる友がいないとなると、妻を引っ張り出すしか手がない。
ということで、妻と一緒に、「刈谷ハイウェイオアシス」と「洲原公園」へ。

「物の本」によると、刈谷ハイウェイオアシス(刈谷市東境町吉野55)は、伊勢湾岸道の刈谷パーキングエリアと岩ケ池公園を一体的に整備したレジャーエリア。

食事や買い物ができるセントラルプラザ、天然温泉、観覧車、大型遊具、散策路、デラックストイレなどがあり、高速道路利用者だけでなく、一般道からも利用できる。

何度も行ったことがあるのに、「岩ケ池」は知らなかった。
灌がい用の溜池だろうが、今日は大方水が退き、それで白鷺の群れに遭遇。

池の淵には、櫨(はぜ)や笹などの樹木が茂っていて、散策にはちょうど良いオアシスだ。観覧車に乗りたかったが、風が強いので止めにした。


刈谷ハイウェイオアシス・観覧車


その後、洲原公園(刈谷市井ヶ谷町松ヶ崎6-10 )へ。
物の本によると、洲原公園は・・・・

洲原池を中心として、周囲に広がる松林を背景にした風光明媚な丘陵地にある公園。
園内には、芝生広場のほか約530本のソメイヨシノが植えられた桜の名所。

洲原池は、周囲2.3km。良く整備された散策路が、紅葉の中で美しく輝いていた。
妻と仲良く一周(人目がなければ、手を繋いでいたろうな・・・・)。

ほど良い疲れで岐路についた。香嵐渓や大滝渓谷には敵わないが、晩秋の一日を近場のオアシスで過ごすのも意義のあることだ。

そんな思いを抱いた暖かい日だった。
11月22日は、「良い夫婦の日」とか・・・・。


黄昏時の洲原池



2011.11.12(Sat)
川柳大会成績

今日の昼からは、高浜川柳会の月例会。
浅漬けならぬ“朝漬け”で、いざ出陣。

出来は良いはずがなく、講師の會田氏からは酷評、他の会員からの寸評も芳しくない。
このところ、他流試合に力が入りすぎて、足元が危うい状態だ。「灯台下暗し」・・・・か。

日曜日、四日市市民文化祭川柳大会に出席。
これで、今年の川柳大会は終結、たぶん。

労務士会の支部長職が4月で終了したので、気分的に楽になり、今年は様々な大会に参加した。月例会では学べぬことが、多々あって、とても刺激になった。

加えて、川柳の腕も上がった(?)。「井の中の蛙」では限界があるのだろう。
大海を知ると、視野が広がる。大きな目を持てるようになる。

これが川柳のみならず、文芸には必要なことなのだ。

さて、今年の大会の戦績。入選句のみ発表します。


風輪の会(妙喜寺句碑まつり)(2/19

 ●欲得のもぐら叩きは哀しいね      準特選

 ●昭和史の悲しい欲がまだ褪せぬ


春の市民川柳大会(4/2) 

 ●縄文の壺よわたしも風化する

 ●少年の壺にゆっくり炎が満ちる

 ●いい人ができて信じることが増え

 ●母子強くなれと薬罐の湯が滾る

 ●飛翔する少年春の地図を持ち     準特選

 ●生きている着信音があったかい

 ●人間の温み認めるまで飛ぼう


刈谷文協川柳大会(4/17)

 ●海を見てきた少年の軽い翅

 ●生きてきた時代を軽く語れない

 ●もう逢えぬ人へ足音だけ残す


愛川協大会(総会)(5/4)

 ●シンプルに生き抜くための隠し味

 ●シンプルな風を装い逢いにゆく     佳句

 ●悲しみを積木のようにして遊ぶ

 ●成るようになって積木は崩れない

 ●人間に逢いたくなって陽が注ぐ

 ●裏切ってはいけない人と汲むビール


東海市民川柳大会(6/18)

 ●返信のハガキはリラの散る日まで

 ●ふるさとの空は限定品だろう      特選

 ●美しいペン先薔薇の字を書こう

 ●明日に向くどの子の空も美しい


中部地区川柳大会(9/11)

 ●ひらがなで問うとやさしい詩になる   秀句(人位)

 ●かあさんの味には遠心力がある

 ●脆くてもしあわせそうな角砂糖

 ●よく笑う嫁が来てから鬼が出ぬ

 ●しあわせがきっと拾える柿の種     秀句(人位)


川柳忌・みたままつり句会(9/23)

 ●鍋みがく妻のやさしい戦場だ

 ●いい汗を掻いて夕陽と向い合う

 ●みほとけが清涼剤のようにいる


「ごんぎつねの郷」全国誌上川柳大会

 ●雨の日の新刊書から木の匂い     秀句

 ●樹もいつか鳥になりたいから歌う


きぬうら川柳大会(10/2)

 ●こころ泡立つまで秋の真ん中に

 ●街にまだ悲しみ抱いた白い風      佳句


豊橋文化祭川柳大会(10/10)

 ●芝目から喜怒哀楽を見るゴルフ

 ●一本の松に拍手が込められる      特選

 ●罪あまた煮込みうどんにして食べる


秋の市民川柳大会(10/29)

 ●足跡は残さず風のまま行こう

 ●幸せのパズル笑顔ができあがる

 ●ふりだしもあがりも笑顔忘れない

 ●しあわせの色を灯している出窓

 ●かなしみを搾ると明日が匂いだす


刈谷市民文化祭川柳大会(11/3)

 ●柿熟し民話の空が澄んでくる


四日市市民文化祭川柳大会(11/6)

 ●しあわせの根っこにあった本籍地    特選

 ●本当は跳ねたくはない出世魚

 ●終点はやっぱり妻の手のひらに

 ●シーソーの点のところで結ぶ恋

 ●またひとり主役を代える砂の上

 ●穴のあるバケツがいつも愛される



晩秋の並木道



2011.10.23(San)
川柳七句

いい汗を掻いて夕陽と向い合う

脆くてもしあわせそうな角砂糖

パレードは鼻を膨らませるところ

芝目から喜怒哀楽を見るゴルフ

罪あまた煮込みうどんにして食べる

ひたむきな雲だ夕日を追いかける

一本の松に拍手が込められる



2011.10.02(San)
川柳の穿ち

今日は、「川柳きぬうらクラブ」主催の「きぬうら川柳大会」(半田市芸術祭参加)に出席。
朝、10時30分に課題の投句を済ませ、そのまま「ごんぎつねの郷」へ。

矢勝川堤防を埋め尽くす200万本の彼岸花がみごと!
新美南吉の生家も訪れ、午前中は充実した時間を過ごした。

午後からは川柳の披講(選者による入選句、佳句、秀句の発表)。
期待も少々あり、楽しみにしていたが、結果は、疲れのみ残し完敗?

投句は、下の八句。

 回転木馬しずかに秋を漲らせ

 こころ泡立つまで秋の真ん中に        課題「秋」

 風が止まる五百羅漢のその中に

 止り木でお休み風のある日には        課題「休」

 街にまだ悲しみ抱いた白い風

 地球儀に抱え切れない愛と憎         課題「抱」

 潮騒の中に泣き切るまでいよう

 満ちてくる海あの日から人見知り       「自由吟」

辛うじて、「こころ泡立つまで秋の真ん中に」が入選、「街にまだ悲しみ抱いた白い風」が佳句に選ばれた。10%という入選率の中では、二句抜かれれば上出来と言ったところか?

「川柳きぬうらクラブ」では、「ごんぎつねの郷」全国誌上川柳大会も初夏の頃から開催されていて、こちらの方は運良く、次の句が入賞(大会実行委員会賞)に選ばれた。

 雨の日の新刊書から木の匂い         課題「木・樹」

1,330を超える全総句数の中からの入賞(20位まで)だから、大したものだと胸が張れる。
とはいえ、きれいなだけの川柳(詩性川柳といってもいいが)の限界が見えてきた。

なるほど、中日川柳会主催の中部地区川柳大会(9/11)に投句した下の作品は、いずれも「人位」に抜かれたが、これは選者がたまたま詩性川柳と相性が良かったに過ぎない。

 しあわせがきっと拾える柿の種         課題「拾う」

 ひらがなで問うとやさしい詩になる       課題「問う」

今日の大会は、川柳の穿ち(「なるほど!」と納得させるパンチ力)のなさを見事に突かれた。
「穿ち」は、今後の課題である。

とりあえず、こんな句を目指そうと思う。

 張り裂けるとき風船はほっとする        橋倉久美子「裂ける」
 

新実南吉「手ぶくろを買いに」



2011.09.18(San)
川柳七句

歯を磨く詩がやさしく光るよう

鬼だって笑えば傷が癒えてくる

かあさんの味には遠心力がある

台本がないと笑顔がよく光る

みほとけが清涼剤のようにいる

鍋みがく 妻のやさしい戦場だ

荒れるしかなかった愛され過ぎた海



2011.09.11(San)
ラフティングとブドウ狩り

初秋も中旬になった。
歳時記で言えば、「中秋の名月」にあたる季節だ。

カレンダーを見ると、明日は「十五夜」となっている。
夏を終えたばかりなのに、もう十五夜では、五感が麻痺するばかりだ。

さて、今年はどんな夏だったか?
西瓜、風鈴、蝉時雨は、いつも通り。

今年も海へは行かなかった。
その代わりと言っては何だが、長良川(岐阜県郡上市)で、「ラフティング」を楽しんだ。

中小企業家の異業種交流会で行ったのだが、激流(?)を滑り落ちていく様は、痛快だった。
さほど、水量が多くなく、危険が乏しかったのは残念だったが・・・。



他には、家族でブドウ狩り(岡崎市駒立)に行った。
こちらは、年中行事ならぬ、隔年行事と言ったところ。

振り返ると、相変わらず、貧しい日々を送っていることを否めない。
みんな忙しいから、仕方のないことだ。

何か心に残るもの・・・そんなことを毎年思いながら、思うだけの日常に慣れっこになっている。
十五夜が笑っているように見えるのは、気のせいか!

 仕方なく飲んでる月は笑ってる        比呂志 



2011.08.13(Sat)
川柳七句

永遠を問うひまわりのかたい種

三ツ星の味を辿ると母へ行く

自画像にまだまだ描けぬ強い線

よく笑う嫁が来てから鬼が出ぬ

しあわせがきっと拾える柿の種

ひらがなで問うとやさしい詩になる

打ち水のあとに小さな虹が見え



2011.08.07(San)
気のまま風のまま 

7月の台風(6号)が去って、蝉時雨が激しくなった。
「今年は蝉が鳴かないね」と妻が言った矢先のことで、少し安心した。

蝉は鳴くのが仕事だから、やはり夏には律儀に鳴き始める。
次の大型台風も日本列島に接近しているのを察知してか、台風が来るまでに十分鳴いておこうとする健気さが、少し切なくもある。
        
蝉が鳴くのは、子孫を残すための配偶行動である。
本能とはいえ、この健気さは、いかにも日本人好みだ。

世界には、働くことの好きな人種と、怠けることが好きな人種がいるようだ。
「働くこと」と「怠けること」の優先順位をつけさせると、日本人は間違いなく「働くこと」の順位が高く、「怠けること」の順位が低い民族だろう。

うつ病になりやすい性質も、「働くこと」の価値観が高すぎる結果である。責任感が強いのは美徳だが、うつになった自分をそこまで責めなくても、と思ってしまうこともある。

もっとも、現代の若年層には、「新型うつ病」が増えていて、仕事の時だけうつ状態になり、会社の外では元気なのが特徴のようだ。

フランス人などは、日本の「窓際族」を天国と思っているらしく、仕事のないポストは、会社貢献が顕著だった人に与えられた特典と考えている。

インド人の場合などは、例えば、時間給が2倍になると、労働時間を半分に減らすそうだ。
生活できる金さえあればよく、収入額は一定で足りるのだろう。

時間給が二倍になると、喜んで労働時間を2倍にもしかねない日本人とは、幸せに対する価値観がまるで違っているのである。

「江戸小噺」にこんなのがある。
若者が昼寝をしているところに、大家がやって来て説得をする。
いい若者が昼寝をしている。けしからん。若いうちは、しっかり働け、と。

「ですが、大家さん、働いてどうなるんで・・・」
「働けばお金が儲かる」

「お金が儲かって、どうなるんですか・・・」
「そうすりゃあ、自分のお店を持てるようになり、その店が繁盛すれば、いずれ番頭さんを置いて、主人のおまえはゆっくり昼寝できる身分になれる・・・」と、大家は解説する。

「ですが、大家さん。あっしはその昼寝をいまやっているんです・・・」

こんな若者ばかりだと日本経済は困るが、江戸小噺は、庶民の本音を突いている。
日本人もそろそろ、本音で生きる生き方に修正を強いられているのかもしれない。

先日読んだ新聞の書評が面白かった。『年収100万円の豊かな節約生活術』。
著者は、プータロー歴20年、51歳の山崎寿人さん。

「御三家」と呼ばれる私立の中高一貫校から東大へ。
大手酒類メーカーに就職したが 30歳で退職。
一時、友人に誘われて日本新党の選挙を手伝うが、その後は定職のない生活に・・・
がざっとの経歴。
                       
収入源のほとんどが、親が残した中古マンションの家賃。
「食事や光熱費、通信費などに使えるお金は月3万円。それでどれだけ楽しく暮らせるか。ゲームとして楽しんでいる」が本人の弁だ。

著書は、節約ハウツー本ではない。
つましくも充足感のある、著者の生活を綴ったエッセーである。

正直羨ましかった。
「気のまま、風のまま」と言うが、日本では、定職なしの生活をまず送れないのが実情だ。 

水槽で泳ぐメダカのように、限られた場所や限られた手段の中で生きていくしかない。
時に華麗で、時に颯爽と見える熱帯魚も、水槽の外へは決して飛びだすことは出来ずにいる。

働くという常識の中で、与えられた仕事をこなし、与えられた義務を遂行する。
そんな常識的な生き方が幸せと信じ切っている。
水槽のガラス越しに、明日を探すのも決して悪くはないのだ。          

著者には、食べることに対する人一倍のこだわりがある。
初期投資して機械を買い、ヨーグルトやパンを自宅で作る。

かつて食べ歩いた東京・赤坂の名店の味が忘れられず、調味料をそろえ、試行錯誤の末にレシピを再現した。そうして作った料理を並べ、自宅で友人たちとたびたび催すパーティーが至福の時である。

「しなければならぬ、という観念や、していいか悪いかの二項対立的な価値観だけに縛られたくない。人に楽しんでもらえると自分もうれしくて、すべての瞬間をそうして埋めたい」。                 
甚平姿がよく似合う。その生き方やよしである。   

8月に入った。蝉時雨が一段と激しさを増す。
庭先を眺めると、薄紅色の小花が蝶の翅を広げたような形で、可憐に咲いている。

葉の形状、香りからハーブ系と思うが、花は少女のあどけなさを残している。花図鑑を見るとサルビア・ミクロフィラ。少年の頃、よく蜜を吸った燃えるような赤い花穂のサルビアの近縁種か。

花も旬を知って咲く。真夏の陽光を受け、熱風を纏いながら生きていく。
その生き方もよしである。願わくば、台風からも散らずに咲いていて欲しい。

 自分史を綴る気のまま風のまま
                                    (刈谷文協文芸誌「群生」寄稿)



2011.07.18(Mon)
川柳七句

雨の日の新刊書から木の匂い

永遠を見つけるために樹に登る

美しい樹形だ虹が見えそうだ

樹の天辺たったひとつの空に逢う

樹もいつか鳥になりたいから歌う

剪定が終わると薔薇はバラになる

樹海からの風はきっと母だろう



2011.07.09(Sat)
東海市民川柳大会

月曜日、「月刊 とうかい」(とうかい流壇川柳会)7月号が届いた。
「待ちに待った」柳誌だけに、早速、目を通した。

とうかい流壇川柳会同人の川柳の雑詠と6月18日に行われた「東海市民川柳大会」の結果報告が、主な内容。実は私、“密かに”この大会へ参加していたのだ!

遅ればせながらの他流試合。
相手は、ツワモノが多い「とうかい流壇」の面々と愛川協で鳴らす先輩諸氏。

誰も言わないから自慢させてもらうが、東海市議会議長賞を“見事”受賞した。
課題は「限」。受賞作品はこちら!

 ふるさとの空は限定品だろう

選者・佐藤弘子さん(川柳きぬうらクラブ)との相性ぴったりで、奇跡が起きた。
ちなみに、佐藤弘子さんは昨秋にこんな句を作っている人だ。

 大遅刻してきて秋は知らん顔

大会の受賞者と作品を紹介する。
みんな、うまいなぁ(半分、自画自賛)!

市長賞
○素うどんに落ちた涙がバネになる
中日川柳会
 四日市市  赤星 陽子

課題 『素』
市議会議長賞
○ふるさとの空は限定品だろう
岡崎川柳研究社
 高浜市    柴田比呂志

課題 『限』
教育委員会賞
○生きるべし台地に素足突き立てて
中日川柳会       
 名古屋市  木村 英昭

課題 『素』
文化協会賞
○晩節へ美徳の種を蒔いておく  
とうかい流壇川柳会
 東海市    橋谷美恵子

課題 『美』
愛川協会長賞
○父の影踏んでも守る山がある 
とうかい流壇川柳会
 東海市    佐々木孝子

課題 『影』
中日新聞社賞
○死の床も美しくあれ花であれ
川柳きぬうらクラブ
 半田市    浅利 悦子

課題 『美』
東海タイムズ賞
○不器用を晒して一歩ずつ磨く
やしの実川柳社
 豊橋市    岡田コスエ

課題 『歩』
優秀句賞
○気が付けば自分の影も丸くなり
とうかい流壇川柳会
 東海市    田中百合子

課題 『影』
優秀句賞
○愛の手は限度一杯差し伸べる
東海川柳会
 東海市    岡  照正

課題 『限』



2011.07.02(Sat)
川柳七句

心には化粧をせずに逢いにゆく

いい人に寄り添う影が嬉しそう

美しいペン先薔薇の字を書こう

明日に向くどの子の空も美しい

成るようになって積木は崩れない

人間に逢いたくなって陽が注ぐ

裏切ってはいけない人と汲むビール



2011.06.19(San)
河野裕子

隣家のビワが色づいてきた。
今年は、例年に比して豊作だ。

自分の物ではないが、自分の物のように眺めている。
鳥たちがつつきはしないか?盗人が夜な夜な、ちぎって食べたりしないか?心配になる。

雨のたびに実が熟れてきて、激しい雨が降れば、落花するのも間近。
収穫はもう目の前だ。明後日は夏至。

昨夏に他界した歌人・河野裕子(かわのゆうこ)さんを偲ぶ書籍が相次いで刊行されているようである。「心打つ生の深みを持った歌風」に広い支持が得られているからだと言われる。

河野さんの死が新聞紙上で大きく取り上げられたから、その存在を知ったわけだが、確かに良い歌を残している。

 のちの日々をながく生きてほしさびしさがさびしさを消しくくるまで

 さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ

 手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

これらは、亡くなる前日まで口述筆記も交えて詠まれたもので、遺歌集に収められている。
「息が足りないこの世の息が」と、口述ゆえのリアリティが存在する。

写真を見ると、きれいな方である。
「歌もすばらしいが、人間的にもすてきな人だった」とある歌人が言っていた。

下は、河野裕子さん初期の頃の作品。

 逆立ちしておまへがおれを眺めてた たった一度きりのあの夏のこと

 たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか

 大泣きをしてゐるところへ帰りきてあなたは黙って背を撫でくるる

 わたししかあなたを包めぬかなしさがわたしを守りてくれぬ四十年かけて

 慰めも励ましも要らぬもう少し生きて一寸はましな歌人になるか



河野裕子さん(夫の歌人・永田和宏さんと)



2011.06.05(San)
川柳七句

ウンチクを語る原稿紙が熱い

海へゆく少年 風を着て歩く

限りある命いとしいから笑う

みぞおちでまだ燻っている火の粉

転ぶたび少年の地図あざやかに

この道をゆくため越える水溜り

夕景の街であしたの翅を編む



2011.06.04(Sat)
井戸の茶碗

今日は、名人・柳家小三治の独演会の日。
「へきなん落語」50回を記念しての碧南市と碧南市教育委員会の自主事業。

碧南市芸術文化ホールは、大入り・・・・だったろう。
数日前、独演会のチラシを発見。すぐにチケットの購入を試みたが、すでに完売。

そりゃそうだ。並みの芸人とは一味も二味も違う当代の名人。
碧南市民だけでなく、落語ファンなら10駅くらい乗り継いだって、行きたいはずだ。



柳家小三治


一昨日、インターネット落語会で、柳家権太郎の落語を一席聴いた。
演目は、「井戸の茶碗」。

故古今亭志ん朝の「井戸の茶碗」を“正座”とすると、権太郎のは、マンガチックな“胡坐”のようだが、人物描写はしっかりしていて、久々に落語を堪能できた。

「井戸の茶碗」は、私好みの話で、以下は、そのあらすじ。少々長い!


正直者の屑屋の清兵衛。
商売をしていると、身なりは貧しいけれど品のある娘に呼ばれる。

娘についていくとその父親が仏像を売りたいとのこと。
屑以外のものはわからないと断ろうとするが、どうしてもと言われ預かる。

それを持って商売をしていると、細川家の家来・高木が仏像を見たいと呼び止めて、結局気に入って買い上げた。高木が仏像をぬるま湯で洗っていると、中に何か入っている音がする。

小さい仏像が入れ子になっている細工なのかと取り出してみると、入っていたのは仏像ではなく、五十両の金。

高木は屑屋が通るたびに呼び止め、やっとのことで清兵衛を捕まえて、「仏像は買ったが五十両は買った覚えはない」と五十両を返すよう清兵衛に頼む。

が、清兵衛が仏像を売った浪人の元へ五十両を持っていくと、「売った時点で人様のものだから、私が受け取る筋合いではない」と受け取らない。

高木と浪人がともに譲らず、困った清兵衛は家主に相談。
すると、家主は 「高木に二十両、浪人に二十両、清兵衛に十両」の案を出す。

高木は納得するが、浪人は納得しない。この条件に浪人がいつも使っている古い茶碗を高木に譲る、ということでやっと浪人も納得し、これでやっと話が収まった。

高木はもらった茶碗を磨いて大切にしていると、この話が細川様の耳に入り「茶碗が見たい」と言う。そこで茶碗を見せたところ、これが名器だということが判り、殿様が三百両で買い上げる。

さて、この三百両をどうするか。

以前の例があるので折半しても受け取ってもらえるかと困ったものの、清兵衛に取り次いでもらうと「高木に娘を差し上げ、(結納として)金を受け取る」との返事。

さっそく清兵衛が高木にこの事を伝えて、「今は身なりが貧しかったりするが、高木様の手で磨けば、いい娘になりますよ 」と言う。

そこで高木が一言、「いや、もう磨くのはよそう。また小判が出るといけない」。



2011.05.05(Thu)
川柳七句

桜咲く誰かと指切りしたくなる

少年の微熱を解いたりんご飴

にんげんの罪消すように桜散る

一本の樹木ゆたかに歳をとる

飛翔する少年春の地図を持ち

指眼鏡を覗くと見えてくる花野

シンプルな風を装い逢いにゆく



2011.04.23(Sat)
季節の花々

事務所の出窓に置かれた鉢植えのランが満開。
数えてみると、30数個の花を付けている。

花図鑑を開くと、デンドロビウムというらしいが、知らずにカトレアと呼んでいた。
ここ数年、葉ばかりが伸びて、ひとつとして花を結ばなかった。

よくぞ忘れず咲いてくれたものだ。
毎朝、事務所で清掃を欠かさないからだろう。

出窓をきれいに拭き、毎朝、少しだが水を遣る。
それをランは見ていてくれて、「きれいにしてくれてありがとう」と、花を付けたのだろう。

先日、知人の会社の現場事務所へ行った。
事務所の前に、石碑が建てられていた。

「念ずれば花開く」
四国の仏教詩人・坂村真民さんの文字が刻まれていた。

知人の話だと、石碑を建ててから、会社が良くなってきたようだ。
社長も社員も、「念ずれば花開く」を、絶えず意識しながら行動しているからだろう。

色々な花が咲き出した。
山吹、小手鞠、躑躅(つつじ)、藤、花水木、牡丹・・・・

目にしただけでもいくつか挙げられる。いい季節だ。
花々の潤いをまた今年も感じることにしよう!

  指眼鏡を覗くと見えてくる花野           比呂志


デンドロビウム



2011.03.12(Sat)
川柳七句

雛包むときさよならの息づかい

愛された月日のどこもさくら色

人肌の温みをあすに捧げよう

風光るどれもさくらへ流れつく

花びらが流れる花屋の真ん中に

蕗のとう春の大地がまたくれる

蜜の味知って大人になってゆく



2011.02.26(Sat)
南天

JAF MATE(ジャフメイト)3月号が届いた。
巻頭を飾る、星野富弘さんの味わい深い詩と画。

今号は、鈴なりの南天の実を半分くらい隠して、雪が降り積もっている。
鮮やかな朱の南天と真っ白な雪が、とても眩しい。

画の下には、端正に書かれた文字。
星野さんが筆を口にくわえて、懸命に書いた「立春」という詩だ。


手と足が不自由になって
歩けなくなりました

土を掘ることも
スキーをすることも
できなくなりました

でも神様ありがとう

あなたが持たせてくれた
たった十グラムの筆ですが
それで私は花を咲かせたり
雪を降らせたり出来るのです

神様ほんとにありがとう


「投語」と「答語」があった。

星野さんの詩と画に、やさしく言葉を投げかける「「投語」。
そして、それに対する星野さんの返答が、「答語」だ。


【投語】神様の筆は何本ありますか

【答語】無限だと思いますが、今の私には一本で十分です


そういえば、南天を詠んだ川柳を思い出した。
こちらも、味わい深い・・・・

 南天の実の赤々と娘が嫁ぎ           荻原柳絮



南天の実



2011.02.13(San)
川柳七句

紙風船哀しい過去を打ち上げる

手に取ると風はやさしい色になる

炙り出しのように春の日の笑顔

人情に飢えたライオンだっている

言葉尻とらえて冬の実が割れる

口直しの酒にあしたが見えてくる

別々の顔が重なり合って春



2011.01.16(San)
川柳七句

逢えた日の冬の星座が甘くなる

明星の孤高もいいさひとり旅

寄り添えばいつでも遠い日に帰る

また明日がきれいに見える星を摘む

祈る手に虹は掴りそうになる

生き下手にやさしく虹が架けられる

悲しみをギリシャ神話の星に見る



2011.01.09(San)
歩くことが生きること!

昨日は、恒例の「衣浦臨海コース」20kmの散策。
絶好の散策日和で、空が青い。歩いていても始終、快適だった。

ここ数年、歩くのは日課になっていて、ひどい雨降りを除いて、大抵歩き続けている。
歩かなければ気持ちが悪いといった風情で、ちょっとした癖になっている。

まぁ、歩くなら本当は五月の連休の頃がいいが、初春はひとつのケジメくらいにはなるだろう。
ということで、花のない景色は残念だったが、また今年が始まったという実感。

今朝の日経新聞に、「メタボ対策 成功の秘訣」という見出し。

@無理のない目標 
Aカロリーに注意 
Bなるべく歩く 

が成功の秘訣なのだと言う。
目標が高すぎると挫折しやすい、とも。

「毎日10分しか歩かず、揚げ物中心の食事をしている人が、いきなり2時間歩いて、揚げ物ゼロにするのは困難」。少し頑張ればできる目標を立てるのがコツのようだ。

いや、頑張らずにできるくらいの目標でいいのではないか?
頑張らずにできるとは・・・・好きになればいい。好きなら頑張らなくてもできるはずだ。

今日、「名鉄ハイキング」が、我が高浜市内のコースで行われた。
「高浜鬼のみち散策と吉浜人形 コース」と命名されていた。コースは・・・・

高浜港駅(スタート受付8:30〜11:00)…鬼のみち…かわら美術館…大山公園…中部公園…紫峰人形美術館…人形小路…吉浜駅(ゴール受付15:00まで)

名鉄ハイキング、いいじゃないか!余生をこんなところに見つけている。
歩くことは、生きること・・・・そんな気分に少しずつなっている。



高浜港駅前鬼の面



2010.12.11(Sat)
川柳七句

人肌が恋しいふる里の冬日

秋・冬が綱引きをする飛行雲

似顔絵に少し思想を入れておく

石膏デッサン迷子になっている光

秋空を掴むブランコ乗りになる

いい人と行きたい花の絵画展

真っ直ぐな脆さ海月のしなやかさ



2010.12.05(San)
シクラメン

玄関の靴箱の上に、シクラメンの鉢。
薄紅のやや紫がちの小花が、かわいらしい。

シクラメンは、冬というか年末への案内花といったところか?
ギザギザの葉越しから茎を勢いよく伸ばす若い花が、何だか気ぜわしさを増す。

昨日今日と社労士の日・無料相談会。
四会場を掛け持ちしたが、いずれの日も暖かな小春日和。

冬の日差しが暖かいのは、ありがたいことだ。
縁側でぬくぬくと、強い冬日に射抜かれていたい。

 6Bで描いたよ ふる里の冬日          比呂志

6Bの鉛筆で、ふる里の冬日の力強さを描いている。
そんな光景が、遠い遠い過去にあったような・・・・

ふる里を捨てて、上京したあのときの着の身着のままの姿が、心に駆け巡る。
秋から冬にかけてのいたたまれない寂しさが、今も思い出せる。

あれから四半世紀。
あっという間だ。

そして、あっという間にまた、次の四半世紀が過ぎ去るのか?
毎年の暮れにシクラメンの花を咲かせて・・・・


「シクラメンとシムラケンが似ているなと思って、アルファベットを並べ替えると何と同じでした」
というコメントを発見!


イメージ 7
シクラメン



2010.11.13(Sat)
川柳七句

恋すると胸に小さなガラス片

逢いたさに冬地のセーターまだ早く

満ちてくる海あの日から人見知り

さびしくて夕日の赤によく染まる

てのひらに少し残しておく木の実

運という括りのなかで人は生き

改札の向こうに君がいる温み



2010.10.23(Sat)
俳句、はじめました

日曜日、「大浜てらまち俳句ing」に参加。
昨年に続き二度目となるが、意気揚々俳句と向かい合った。

ちなみに、大浜てらまち俳句ingとは、 「まちが、暮らしが俳句(うた)になる」をテーマとして、寺社、路地、蔵が多く残る碧南の歴史地区「大浜」を舞台にした俳句吟行会。

投句したのは、下の三句。

 てらまちへ誘われし十月の駅

 秋の路地訛りことばを携えて

 杉玉の色褪せてゆく寒露かな

結果は、「てらまちへ誘われし十月の駅」が市議会議長賞。
意気揚々が結果に結びついた稀なケースだ。

    http://www.city.hekinan.aichi.jp/KANKOKYOKAI/haiku/haiking/haiking.htm

昨年は、「海からの風に爆ぜるや石榴の実」が選者賞(二村典子選)に輝いた。
まぐれも二度目だと、俳句のことが気になり始める。

それで、早速、俳句の本を買った。岸本葉子著「俳句、はじめました」。
これが面白い。そして、俳句の深さが良く分かる。

    http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/404621466X/ref=dp_image_text_z_0?
     ie=UTF8&n=465392&s=books

話は戻るが、表彰式終了後、二村典子さんが声を掛けて下さった。
昨年の事を覚えていて、「俳句をやりませんか」と。

相変わらずきれいな人だ。
歳時記を買ってみようかな・・・・!



2010.10.09(Sat)
川柳七句

衣替えゆっくり秋へ流れよう

濃厚なスープ遠くへ娘が嫁ぐ

余命表小さないのち接木する

悩む日のこころが覗く花切手

追い風に男の旬はもうまじか

惜敗に少し切ないビールかけ

頂点を越えてやさしい人となる



2010.10.03(San)
ポトス

机の上の観葉植物(ポトス)が、夏のあいだに随分と茎を伸ばした。
その様を、「宇宙遊泳してる」と詠ったのは少し前。

 宇宙遊泳してるポトスの伸び盛り

秋になって、栄養分を若い葉に奪い取られたのか、元の葉に元気がない。
それで、かわいそうだが若い葉を大分切った。

今朝、ポトスの置かれた机の上が濡れていた。
切り口から、涙を流していたのだろうか?

昨日まで、ポトスの茎を流れていた水分が、水の行き場を失くして切り口から零れたのだろう。
植物の栄養分は、窒素、リン酸、カリウム。

それを与えねばならぬが、どうすればいいのだろうか?
そう思うだけで、何もしない。しないことに慣れ切っている。

植物を育てるのも楽でないことに、気づいた朝だった。


ポトス



2010.09.11(Sat)
川柳七句

観覧車のてっぺん風が座ってる

頂点を越えてやさしい下り坂

向日葵の下できれいに甘えよう

遠回りして人情に触れている

風を追い風と弾んだ知らない町で

肉筆の手紙やさしい絵を添える

風見鶏あすを纏っている風だ



2010.08.29(San)
今年も出ました!

「自分ではどうしようもない時、お姉ちゃんはひとりで悩む?」

「そんな時は、誰かに相談したり、協力してもらうよ」

「そうだよね。自分ひとりじゃ、解決しないよね」

「ひとりで悩んでない方がいいよ」

「よかった!宿題手伝って」

「・・・・・」

上の会話は、木曜日の中日新聞「ちびまるこちゃん」。
噺家を彷彿させる見事な“オチ”に、思わず笑ってしまった。

8月最後の日曜日となった。空や風が、少しずつ秋らしくなってきた。
雑誌や新聞も、秋の特集を載せている。

そうだ、昨夜飲んだビールが「きりん秋味」。
コクと深みがあって相変わらずうまい!

今年の「秋味」の缶の絵柄は、晩秋のもみじを思わせる“濃く深い秋”といった風情。
晩夏の風物詩が、またよみがえった。

3ケースほど買っておこうかな・・・・。


きりん秋味(2009)

2010.08.14(Sat)
川柳七句

海へゆく時間を残し夏終える

遊園バス少年の日の笑い皺

驟雨来て蛍光ペンを光らせる

遠花火あすはやさしい絵を描こう

まだ父が蒼くはしゃいでいる海よ

宇宙遊泳してるポトスの伸び盛り

海の絵に君が使わなくなった青



2010.08.01(San)
花図鑑

蝉時雨で目が覚めた。梅雨が明けてからの暑さといい、蝉の異常なほどの鳴き声といい、とてつもなく崇高な何かが怒っているのでないか、と疑ってしまう。

怒髪天を衝くのは、安眠を解かれた私にしてもそうで、半ば徹夜の身には、この寝不足はかなり堪える。
昨夜は一夜漬けで川柳を作った。月例会で披露するためのものだ。

「どんな句になったか」「いいものはできたのか」と、まだ眠りから覚めていない頭で思い出そうとした。

 花切手貼る日のくるぶしが軽い          

 泣きそうな心に花の絵を描こう         

 花を描く時間やさしく夕焼ける         

確かこんな感じだった。思ったよりもいい。深夜には少々アルコールが入っているので、作句したての出来栄えは時にすばらしく映るが、眠りから覚めると、大半は使い物にならない。

昨夜は、テーマを花に絞ったのが良かった。花は人の心に安らぎをもたらす。
崇高な神々に微笑をもたらすのだ。                

句もそうだが、絵も文もこのところ意識的に花を描いている。花は女性に通じる。
しとやかで穏やかな淑女、無垢でしなやかな少女、悪女、娼婦・・・・を花に見立てていく。

同じ作るなら、潤いのある恋の句がいいし、恋の絵を描きたい。
人生、色恋もなければ、悟りは開けないのだ。                       

自分で言うのも何だが、花が好きである。
草花、鉢花に花木、山野草。

花の咲いている場所へぶらりと出かけ、旬の花を目で追っていくのが楽しい。
盛りの時期は毎年少しずつ違うが、季節の花は大抵裏切らない。    

今年もアネモネに始まり、蝋梅、枝垂れ梅と白木蓮、片栗の花。それから桃・桜を経て、初夏の花へと続くフルコース。なかでもミササガパークの薔薇は見事だった。下は、その日の日記。          

 夕刻、ミササガパーク(刈谷市半城土町掛貝)へ薔薇を見に行った。
 薔薇と芝桜で有名な、バーベキューなどが手軽に楽しめる刈谷市の観光スポットだ。

 入場料無料、バーベキュー施設も予約など一切必要とせず、先着順で無料で借りられる。
 その手軽さで、土・日・祭日はいつも満員。親子連れにとって、絆を育むもってこいの場所だ。             

 園内の薔薇が見頃。五月の薔薇とはよく言ったもので、夕刻の光が花や枝にやさしく溶け、    
 淡い光の層が目の前で躍っている。印象派の絵を見ているかのようだった。                    

 薔薇園の中で、ひとり花を世話している若い(?)女性。落ち着いた仕事ぶりで、花がら処理
 や剪定といった細かな作業をしていた。

 こうした人手がいつも、花を美しく育てる。
 美しい景色の中に、何気ない行為が凛と佇んでいるのだ。

 
ミササガパークへは、この一年に何度も来ているが、薔薇や芝桜の美しさもさることながら、
 こうした世話人のやさしさを見に来ているのだろう。

何とも粋な日記ではないか。花好きだが、花を育てることに手が回らない半人前の身には、花を育てる人への感謝を忘れてはいけない。

我が家でも、日当たりを気にしたり、水遣りを欠かさずにしてくれる人がいるからこそ、花壇や鉢植えの花が昨年と同じ花を咲かす。この際、妻にも感謝だ。

先日、得意先の歯科医院を訪問すると、診療室の窓辺に何ともいえない清楚な花々。
花水木に似ているが、花水木とは咲く時期が異なっている。

花は散り際を迎えて、一片一片散るのを待つかのように凛と佇んでいる。
さて、花の名は。                   

花図鑑を買った。「初夏の花木」の項に、それらしい花を見つけた。「山法師(ヤマボウシ)」。
比叡山の僧兵のような名は、元々野趣が持ち味ということか。

「近縁種の花水木に似るが、花水木は苞の先端が凹むのに対し、山法師は先端が尖る」とある。「近年、庭木として盛んに利用されるようになった」とも。

こうして覚えた花が増えていくのは、うれしい。
新しい花々が、私の花図鑑に少しずつやさしさを刻んでくれる。

 花図鑑のどこか隠れている君よ

花図鑑を買ったついでに作った川柳である。やはり女性(?)が出てきた。汚れを知らぬ少女のようであるし、娼婦に身をやつした、生きるのに精一杯な女性のようでもある。

少女は可憐な花を探して花図鑑の中をひとり彷徨う。真夏の陽光が肩に背に降り注ぐ。
葉裏で憩う蝶のように、ひと時の涼を求めたのか。

これでは、きれい過ぎてリアリティがない。ならば娼婦の線か。
ネオン街で身を売っているもう若くはない女性。常連の客はひとり去り、ふたり去り。

しかし、この仕事を措いて他に続いたためしがない。
今日もまた、この店の煤けた一室で来るあてもない客を待っている。   

少女か娼婦か、花はどちらにもなり得るのだろう。清楚な花が淫らだったり、妖艶な花が少女の恥じらいを持っていたり、それは見る者の心が決めることである。

咲いては散っていく花々。咲く時のときめきはやがて、散りゆく時のノスタルジアに変わる。
それらを女性になぞらえて、男はまた、この先数千年を生きていくのだろう。

私の記憶の中にまだ隠れている君よ。かつて愛した人を、私は、私の花図鑑の中に探そうとしているのだ。
                              (刈谷文協文芸誌「群生」寄稿)



2010.07.10(Sat)
川柳七句

凡人で良かったシャケの握り飯

いつまでも旬な夫婦で花を買い

虫けらを蹴散らす人の匙加減

遠い日を探しにポストまで歩く

画用紙いっぱいに弾む雨上がり

予定ない手帳に海の日が揺れる

真直ぐな絵筆で自分史を描こう



2010.06.12(Sat)
川柳七句

水彩の淡さで駆けた小さい恋

姿見のなかで季節の花を選る

潮騒の中に泣き切るまでいよう

泣く時の袖に溜まってゆく夕陽

一枚の絵を折りたたむ月下美人

限りないやさしさ銀河から貰う

人を癒す花に涙の痕がある



2010.06.06(San)
鉢植えの紫陽花

今日、紫陽花を見に、額田郡幸田町の“本光寺”と蒲郡市形原温泉の“あじさいの里”へ。
毎年の恒例行事ながら、どちらも二分咲きといったところで、少々残念!

今年度も、桜に始まり、かきつばた、薔薇、紫陽花、そして花菖蒲へ・・・・。
スケッチ旅行などもしてみたいが、今は、いつかの楽しみとしておこう。

紫陽花の鉢植えが、我が家のささやかな庭でいくつか花を咲かせている。
あじさいの里で、妻の買った鉢植えが、毎年律儀に花をつけてくれる。

日当たりを気にしたり、水遣りを欠かさずにしているのだろう。
それで、この季節に昨年と同じ花を咲かす。

今年の花もまた命は短いが、その短さゆえに尊いものがある。
先日読んだ本(生きるのが下手な人へ 紀野一義著)の中に、こんな歌があった。

 何もかも我一人(われいちにん)のためなりき 今日一日のいのちたふとし

この歌が理解できるのは、遥か遠い日・・・・だろう!


形原温泉・あじさいの里



2010.05.15(Sat)
ミササガパークの薔薇

夕刻、ミササガパーク(刈谷市半城土町掛貝)へ薔薇を見に行った。
バラとシバザクラで有名な、バーベキューなどが手軽に楽しめる刈谷市の観光スポットだ。

この公園は、刈谷市の市制施行50周年とミササガ市(カナダ)との友好姉妹都市提携20周年を記念して、2001年に開園した。

入場料無料、バーベキュー施設も予約など一切必要とせず、先着順で無料で借りられる。
その手軽さで、土・日・祭日はいつも満員。親子連れにとって、絆を育むもってこいの場所だ。

園内のバラが見頃。“五月のバラ”とはよく言ったもので、夕刻の光が花や枝にやさしく溶けて、淡い光の層が目の前で躍っている。印象派の絵を見ているかのようだった。

バラ園の中で、ひとりバラの花を世話している若い(?)女性。
落ち着いた仕事ぶりで、花がら処理や剪定といった細かな作業をしていた。

こうした人手がいつも、バラを美しく育てる。
美しい景色の中に、何気ない行為が凛と佇んでいるのだ。

ミササガパークへは、この1年に何度も来ているが、バラやシバザクラもさることながら、こうした世話人のやさしさを見に来ているのだろう!


薔薇の剪定



2010.05.08(Sat)
川柳七句

いっぽんの背骨に軽い緑さす

口笛を吹こう心が乾くから

父の眼で歩くと遠い波の音

斜め読み心の穴を埋めている

泣く時の修正ペンが柔らかい

反骨のおとこの火花走り出す

恋人へやさしく続く滑走路



2010.05.04(Tue)
五月病乗り切り術

中日新聞社が発行しているミニ雑誌「Clife」を毎月楽しみにしている。
雑多な生活情報が上手に彩られ、読んでいて退屈しない。

「あなたのお知恵拝借」コーナー。今月のテーマは“五月病 乗り切り術”。
読者から寄せられた“お知恵”を紹介します。

映画を見に行きます。ほんの数時間別世界に入り込めば、さっきまでの日常なんて忘れてしまいます。映画館を出ればまた現実ですが、心の荷物は軽くなります。(名古屋市40歳)

晴れた日に高いタワーに上ります。豆粒大の人間が動くのを見下ろし、自分もちっぽけな人間のひとりなんだなぁって思います。悩みなんて案外小さなことばかり。(瀬戸市37歳)

整理整頓します。キレイになると、不思議と意欲がわいてきて、まず何に取り組めばいいか見えてきます。身の回りから頭の中へと整理できます。(知立市51歳)

とっておきのお取り寄せで乗り切ります。普段は贅沢に思えても、凹んだときには何より心に栄養が必要。おいしいって思える内は大丈夫と自分に暗示をかけるのです。(一宮市49歳)

出勤する車の中で、嫌だと思っていることを大声で叫び、気が済んだら窓を開けて空気の入れ替え。今度は“今日一日頑張ったらどんなケーキを買おうかな”と考えます。(鈴鹿市40歳)

軽い運動が良いと聞きサイクリングをしています。外の空気を吸いながら季節や町並みの変化を感じると、気分爽快!(半田市35歳)

五月病、みなさんは大丈夫ですか?私のイチオシはやはりお風呂。ゆっくり入ってリラックスすれば翌朝の目覚めもスッキリですよ。(編集者)

 青空のどこかに潜む五月病          比呂志



2010.04.10(Sat)
川柳七句

悲しみを少し食べてる花曇り

うどん屋の湯気から貰う温かさ

泣きそうな心に花の絵を描こう

深呼吸するたび軽くなるリュック

花の絵を描くと心が走り出す

掌にやさしいカケラだけ残す

交差する心を添える仲直り



2010.04.04(San)
東山はあの頃と同じ風景!

何年ぶりかで足を運んだ東山。
家人に誘われて、三男坊と三人で繰り出した。

動物園と植物園、そして万葉の散歩道。
霧島ツツジだろうか?細かな淡い紫の花が、凛と咲いていた。

合掌造りの裏手には、遅い椿の花々。
半分は花をすでに落とし、半分がまだ見ごろだ。

鳥たちが、椿の枝を揺らしながら葉から葉へ渡っていく。
目の前で、四月の花々に木霊していく小さな鳥の、その生命。

東山の奥行きを醸し出している竹林を風が静かに抜けていく。
その横で、カタクリの花やレンギョウ、ユキヤナギ、シャクナゲが咲き揃う。

そして、東山全体をやさしく染める桜。
満開の桜の下にどっと構える褐色の老木がゆるぎない。

それらは、三十年前と同じ風景だった。

昨日は、岡崎観光協会主催の「春の市民川柳大会」に参加。
デキは相変わらず良くないが、それでも一句が天に抜かれた。

 絶筆の日までたてがみ光らせて

お題は、「髪」。四日市川柳会主幹の菱川麻子さんのお陰で「東海愛知新聞社賞」を受賞。
下は、この時没になった自信句。川柳の奥行きを今更ながら感じている!

 追憶を吹く風いつまでも甘く



2010.03.28(San)
少し、感傷的に!

事務所の机の上のポトスの鉢植えが、いい味を醸し出している。
緑が少し添えられただけで、気持ちも新しくなる。

今日は、まだ三分咲きの早い花を見に、多くの人が桜の名所に繰り出しただろう。
忙しい体には、花見が現実味を帯びない。だいぶ花が開花しているというのに・・・・。

カレンダーを繰ると、今週はもう四月が来る。
しばらく続いた雨の冷たさが、春を忘れさせていた。

そうか、四月なんだ。出会いと別れが半々の年度のはざま。
別れの方が、遥かに記憶に残っている。

追憶を吹く風は、いつまでも甘い。
棕櫚(しゅろ)の葉が騒ぎ、手を振っている。

別れのときが、いつも胸の片隅に佇んでいる。


ポトス



2010.03.13(Sat)
川柳七句

花匂う花のありかは聞かぬよう

掌のなかで逢える切符を温める

花を描く時間やさしく夕焼ける

白線を越えて大人になってゆく

おはようの声弾むこの町が好き

啓蟄の少しやさしい曲がり角

靴揃え人の心へ上がります



2010.03.07(San)
寄席が甦る!

木曜日、久しぶりにじっくり落語を聴いた。
寄席に行ったわけではなく、パソコンの画面から流れるインターネット落語。

演目は、昨秋に亡くなった三遊亭円楽さんの「茶の湯」「悋気の火の玉」と川柳川柳(かわやなぎ せんりゅう)さんの「ガーコン」「僕は泣いちっち」、そして立川談志さんの「漫談1980」。

円楽さん、談志さんが若い。ともに脂が乗り切っている円熟期の動画だ。そして、いずれも品がある。テレビで売れる噺家は、一様に気品というものを持ち合わせている。

川柳さんは相変わらず元気がいい。そして、若い頃に持ち合わせていなかった品格を、78歳の今、身につけたように思われた。30年前に聴いたジャズ落語のリズムと少しも変わらない。

インターネットはありがたい。聴きたい噺を瞬時に再生してくれる。
芋焼酎のグラスを揺らしながら、今また、円楽さんの「薮入り」に耳を奪われる。

高座のそでに、餅花が飾られている。客席には、着物姿の婦人が多く見つけられる。
寄席・若竹の正月興行なのだろう。その若竹もすでにないが・・・・。

東京を離れた日からすでに25年。四半世紀が地球儀のように蒼い時空をまわる。
しかし、決して忘れることのできない日々が、またインターネットで甦る!



2010.02.13(Sat)
川柳七句

逢いにゆく列車が柔らかく躍る

まだ恋が胸の火縄でくすぶるか

銃声をそっとかき消す空がある

悲しみを積木のようにして遊ぶ

地の果てへ愛がこぼれてゆきそうだ

胸の澱吐き出し明日を迷わない

陽はすでに春の匂いを解き放つ



2010.01.24(San)
桜咲く!

金曜日は、碧南市の櫻鮨(さくらずし)にて、中小企業家の集いのグループ会。
次年度のグループ会もすでに決まっており、それで、現グループ会は、その日が最後だった。

通常のグループ会は、担当者の会社を訪問して、経営についての勉強をするのだが、その日は、飲んで、喋ってだけの会に始終した。まぁ、新年会のつもりなのだろう。

櫻鮨には、部屋ごとに旬の花が生けられていて、私たちの部屋には、シンビジュームがすずらんのような大振りの葉を背景に生けられていた。

カウンターの横には、甕のような大きな花瓶に桜が数本。
寿司屋の花器は、季節を先取りしてるのがよく分かる。

帰り、名鉄電車がすでに最寄の駅に停車していた。本当なら、すぐに発車するところだが、車掌がまだ駅舎で切符を買っている私を待っていてくれた。無人の駅は、その辺が融通が利く。

そのとき、落語家・三遊亭円生さんが、かつて地方巡業へ行ったときの思い出話が浮かんだ。
落語が跳ねて、円生さん一行が汽車に乗ろうとしたとき、すでに汽車は発車した後だった。

しかし、車掌が目敏く一行を見つけ、途中で汽車を止め、後方へ引き返したのだった。
その汽車に乗り無事、次の巡業先に行けたというのである。

誠におおらかな時代だったと、円生さんは述懐していた。
さて、睦月も下旬。今年の目標も決めないまま、時は早足で過ぎてゆく!


桜並木



2010.01.17(San)
川柳七句

雪虫舞う別れのときが近くなる

ワイシャツの皺が眩しい月曜日

午睡して静かに時を巻き戻す

観覧車降りると何か終わりそう

戻りたい日も走り続けている木馬

颯爽と別れは羽を選りたがる

リズム感なく木曜の肩の凝り



2010.01.10(San)
観覧車

出窓から差し込む柔らかい日差しを浴びている。
元旦から続く青い空が、なぜか懐かしい。

飛行雲・・・・のせいだろうか、小春日和を思う空だ。
初春は、恒例の知多湾岸の散策。例の20`コースだ。

衣浦大橋から亀崎を抜けて、半田を海岸線沿いに進む。
広大な田園をひたすら、一人だけの歩行が楽しい。

殺風景な冬の田畑から、また新しいものが芽生えてくる予感。
希望は、人の気持ちを落ち着かせていく。

この散策の日の朝、次男坊の高校受験を祈願して、岩津の天神さんへ。
息子が絵馬を奉納する横で、御神籤を引いた。

運勢は「大吉」!

 災害自から去り福徳集まり 誠に平地を行くが如く 追手の風に舟の進むが如く
 目上の人の助をうけて 喜事があります 信神怠らず心直く行い正しくなさい

「こいつぁ〜春から縁起がいい」と言いたいところだが、苦労人はなぜか身構える。
人の浮き沈みを多く見てきたからだろう。素直に喜べばいいのに・・・・

広大な田園からおさらばして、衣浦海底トンネルへ向かう。
埠頭に林立する工場の群れ。そして、野球場、凧揚げに適した広い公園。

トンネルを抜けると・・・・雪国・・・・そんなはずはないが、よく整地された碧南の歩道。
いつ歩いても気持ちがいい。

明石公園の枯れ葉を踏みしめながら、
少しだけ新しい年を噛み締める!




       2人だけで観覧車
     どんな景色が見えたかな?



2009.12.12(Sat)
川柳七句

冬支度もう抜け殻でいられない

この手から滴り落ちるものは何

まだ木偶でいられる温さ冬木立

破調の日は少しこころの澱を取る

涙目だから見えるモノクロの過去

句読点今日も打てずに毛づくろい

疲れたら冬の星座に抱かれる



2009.11.29(San)
いのちを散らす前の輝き

ストーブが恋しい季節だ。
少しの“暖”があれば、動きが速くなる。

なければ、体に必要以上の力が入り、肩こりだけが残る。
これでは、歌も句もいいものはできそうにない。

今日は、岡崎川柳研究社主催の「秋の市民川柳大会」。
岡崎城に隣接する「龍城(たつき)神社 斎館」で行われた。

岡崎城を囲む樹木が美しかった。晩秋の樹木はどうしてこんなに美しいのか?
紅葉した葉はどれも、いのちを散らす前の輝きを放っている。

それは死を覚悟したものだけに宿る輝きなのか?
川柳の方はといえば、紅葉のようにはらはらと散った。

惨敗とまではいかないが、気持ちは敗北である。入選句は下。

 冬の陽へあなたを洗う水が澄む      (「澄む」 浜口剛史選)

 深呼吸しながら秋が紅くなる        (「樹」 水野奈江子選)

 風走る胸の火縄が燃えてくる        (「走る」 宮村典子・新海照弘共選) 

 原石のままのあなたと結ばれる      (「結ぶ」 鷲見敏彦・會田規世児共選)

今大会では、「川柳きぬうらクラブ」主幹の浅利猪一郎さんが、優秀賞をほぼ総なめ。
浅利さんの作品集「はらわた」は、以前このページで紹介させてもらった。

大会終了後、その浅利さんが声をかけて下さった。
そして、ホームページで紹介したことの礼を述べられた。

うれし、はずかしの極み!
川柳の指導を頂きたい人である。



2009.11.14(Sat)
川柳七句

秋の陽へ寄り道したい二人きり

この指に止まるあなたの手の温さ

甘い風もう軽くなっていいですか

落花舞う音をこころの耳で聴く

てのひらの上にあなたへ続く道

深呼吸しながら秋が紅くなる

もう少し感じていたい甘い風



2009.11.08(San)
収穫祭とデンパーク

先週の日曜は、刈谷産業振興センターにて「刈谷文協川柳大会」。
俳句や川柳の大会が続いているが、晩秋は文化に親しむ時期なのだ。

「真ん中」「軽い」「澄む」が兼題。
これはという作品はできなかったが、それでも何とか作句したのが下。

 食育の真ん中にある箸・茶碗

 星の夜は母が真ん中にいてくれる

 甘い風もう軽くなっていいですか

 花切手貼る日のくるぶしが軽い

 原石のかたちで澄んでいるあなた

 海へ行く人それぞれが青く澄む

「原石のかたちで澄んでいるあなた」は、少々自信があったが、選者は気まぐれだから選に入るかどうか。「花切手貼る日のくるぶしが軽い」は好きだが、これまた選者しだい。

そんなことを思っていたが、結果はその二つが天に抜かれた。
天に抜かれるとは、投句された中で一番良いと選者に選ばれること。

お陰で、「市長賞」「奨励賞」をいただいた。
賞はまぐれだが、励みになる。「またやろう」という気にさせる。

しばらく川柳から離れられないだろうが、今はそれでいいと思っている。
さて、今日は、今からJA愛知中央 安城地区の収穫祭。そして、隣接するデンパークへ。

一年ぶりのデンパークが、今年はどんな顔をしているだろうか?
今,にわかに思い出したが、「真ん中」の題ではこんな川柳も作っていた。

 花嫁を真ん中にコスモスの海

先日、デンパーク正面入り口前の海のように広がるコスモス畑で、ウエディング姿の花嫁、花婿が写真撮影されていた。その場に偶然通りかかったのを幸いに詠んだのが上の句。

案外この句の方が受けが良かったかもしれない。
ともあれ、デンパークが楽しみだ!


夜の風車                   デンパーク入り口



2009.10.24(Sat)
大浜てらまち俳句ing

日曜日、碧南市観光協会主催の「大浜てらまち俳句ing」に参加。
十幾つかの寺々や大浜陣屋、味醂工房などを散策しながら、俳句に親しんだ。

作句したのは、恥ずかしながらこんな句。

 木犀のそこだけ光あつまれり

 秋蝶の空まで飛んで戻りくる

 海からの風に爆ぜるや石榴の実

選者・二村典子さんが、「海からの風に爆ぜるや石榴の実」を天に抜いてくれた。
おかげで、初投句にも関わらず特別賞(選者賞)を得ることができた。

ところで、「二村典子さんとはどんな人なのだろう」ということが気になった。
新進気鋭の俳人には違いないが、見るかぎりでは四十台半ばの色白の美人。

どんな句を作る人なのだろうか?ネットで調べてみると、これが面白い。
俳句とも川柳とも区別がつかぬ句を作る人だ。以下は、二村さんの句。

  抱き合って亀落ちてゆく春の海

  緑さす胸触れられて軽くなる

  振り向かぬ母ととんぼとかくれんぼ

  柳絮舞い耳のほとりに憩いけり

  半身を寒満月にからまれて

  朧夜の肌にはりつく千の泡

  紙袋二つ重ねに春運ぶ

そういえば、二村さんに次の句があった。「ようやくに母の呪縛の石榴割れ」。
これが頭をよぎったのだろうか?そうであれば、ラッキーだった。

また、「西日さす角を曲がればブリキ店」も見つけた。
かって作句した、「帽子屋の角を曲がって南風」と何と似ていることか?

感性が似通った者同士が、投句者と選者となって同じ空間を共にしたのかもしれない。
こうして、二村典子さんは少し注目していきたい人となった!


石榴の実

   大浜てらまち俳句ing はこちらです。

   http://www.city.hekinan.aichi.jp/KANKOKYOKAI/haiku/haiking/haiking.htm



2009.10.10(Sat)
川柳七句

吃音少し僕に何かが欠けている

恋しくて光あつめている落花

逢えぬ日のおとこ心を深くする

柔らかなひかりで脇を甘くする

窓辺からやがて崩れてゆく思想

追伸に君のあしたが描かれる

本当の手紙になった墨のいろ



2009.09.12(Sat)
川柳七句

小さい愛温めていたい糸電話

標本にするとフツウの人ですね

除草して風がすこうし甘くなる

止まり木でお休みなさい火の鳥よ

粉飾の思想を麩のように千切る

ひまわりの迷路に漏れる鼻濁音

明鏡止水 雨がこころを裏返す



2009.08.30(San)
この秋は不況太り

蝉時雨が、一時の勢いをなくしている。夏の終わりなのだ。
しばらくは残暑に追われるが、風は確実に秋の風に移行している。

しばらく夏の隣で待機していた秋風が、少しずつ頬に涼しくあたるようになった。
雲を見上げると、季節の移ろいがよく分かる。ふうっと吹くと、すぐに飛んでいきそうな雲だ。

昨夜、長男坊といつもの焼き鳥屋へ。相変わらずホッピーのぐい飲み。
いい歳をして、父親はいつまでも若いつもりでいる。

焼き鳥やまぐろの中落ち、サーモンなどの刺身、サラダ、そしてまた焼き鳥と・・・
次々に平らげていく。ホッピーのお変わりを三度。その後は、〆の塩ラーメン。

深夜の飲食は身体に悪いと知りながら、平気で若ぶっていく。
これでは、中性脂肪のやや高い身体を蝕んでいくばかりだ。

昨今の巷では、「不況太り」という言葉があるそうだ。
不況がきっかけとなって、人々の体重が増えてしまう現象らしい。

原因は諸説あって、不況のイライラで、つい甘い物を食べてしまうとか、安くて満腹になるインスタント食品や炭水化物で食事を済ませるケースが増えているとか。

やはり、何かが異常なのだろう。ついこの間までの過度の豊かさが誤りだったのか?
まだ時折、蝉時雨が聞こえるが、聞き耳を立てなければ耳に入らなくなった。

今年は、秋が異常な速さで接近している。
いや、もう秋になっているのだろう!



2009.08.15(Sat)
川柳七句

ハミングで蒼い時空を超えてゆく

花図鑑のどこか隠れている君よ

観覧車揺らして風はあのひとへ

時々はおんなが匂うオルゴール

風下に立つのは今日も母だろう

君と今おなじ笑いの中にいる

夏日から風が無言で待機する



2009.08.08(Sat)
桃源郷行きの『ま・く・ら』    

時折、書棚に飾られた本を手にとって眺めることがある。その本を開くわけでなし、カバーだけを見つめている。読み終えたばかりの本であれば、余韻を噛みしめる行為であるし、何年か前に読んだものであれば、そのときの印象を思い出す儀式であったりする。

思いがけずいい酒に出会ったとき、そのボトルに頬ずりするように、いい本にもささやかな視線を投げ掛けてあげたい。カバーは、その本の象徴だから、作者の顔や意図が見え隠れするものだが、それは読後に初めて分かるものだ。

当代の落語名人、柳家小三治が本を書いた。
噺家としての時間という、身銭を切った言葉の修業は、本を書くにしても充分な成果を作り出すが、ナイーブを絵に描いたような小三治が「本作り」とは、どういう風の吹き回しか。

しかし、タイトルを見てピーンときた。
タイトルは、『ま・く・ら』と『もひとつ ま・く・ら』(講談社文庫)。

カバーデザインを南伸坊が担当。いずれの本にも枕がひとつ写されている。
「福徳陶枕」と「い草角枕」だ。

「小三治は首痛解消のため、寝床の枕元に常時二十ほどの枕を置いているというから、これらは、枕と睡眠についての健康本なのだ」と早合点してはいけない。     

「まくら」は噺のまくら。落語のイントロである。ストーリーに入る前に軽く短く喋る。
しかし、小三治はまくらをみっちりやる。
身辺の出来事を温かな目で見つめ、四方八方から、そのユニークな大鉈を振りかざしていく。
ふたつの本は、そうした小三治独自の視点を集めた作品集なのである。

本を手にすると、文庫本でありながら、枕になるほど分厚い。
薄くて活字の大きいスカスカの本が喜ばれる昨今、小三治のそのナイーブさがそうさせるのか、売れることを粋に思わぬ魂が採算を度外視させるのだろうか。

ふたつ重ねれば高さとしては申し分ない。
真夏の昼下がり、扇風機の弱い風に当たりながらうたた寝するには最上だ。
ときに桃源郷へ誘ってくれる。

山谷俳句会が小三治噺に登場する。
ドヤ街の簡易旅館の一室で毎月開かれる句会だ。
二百円の会費で誰でも句会に参加できる。

二十数年の記録がすべて大学ノートに残されている。
十七、八年前に、ある俳句会で断トツだった句がある。
それを作った人は、今は句会には来ていないが、どこで何をしている人なのだろうか。
それを追跡するというドラマがあった。

方々調べて突き止めたところ、新宿の地下道で段ボールを周りにめぐらして、横になっているホームレスの人だった。

インタビューした。

「この俳句作ったの、覚えてますか」

「いやぁ、おぼえてねえな」

「今やってますか」

「ま、ときどき考えることもあるけどな。やってねえやな」

「この句はどうやって作ったんですか。どんな状況です?」

「いやぁ、そら覚えてねえから」

「あたくしはね、ときどき、まあ新宿の住人ですから、新宿の地下道はよく見ますし、あの、こう、なんか避けて通りたくなるような、いるんですわ。ええ。

ところがその中にね、そういう隠れた名人がいるとは思いませんでしたよ。
佳い句なんです、この句が。

山谷で十七年前のこれが一番になった句ね、毎日、日雇いや何かして暮らしてるわけでしょ。
でー、仕事もらえた人はいいけども、もらえない人は、区の事務所だか、国の事務所だかに並んで、その日のあぶれ手当ってのをいくらかもらって、で、インスタントラーメンと、なんか、っていう。 そんなものを食ってしのぐんですわ。

そういうような暮らしをしている。
それがね、見事に出ていましたね。

  弁当の数だけの土工霜柱

っていうんですよ。こーれはびっくりしちゃってね。
“弁当の数だけの土工”っていうところに、そのやっともらえた仕事、しかも弁当がもらえる。

なかなか弁当をもらえるなんていう仕事はめったにないかもしれない。
だけども、やっぱり弁当の数だけしか土工はいない。
土工の数の弁当が並んでいるのが見えます。

世知辛さ仕事の厳しさ、そういうものがぜんぶ織り込まれてね。
そんな理屈より“弁当の数だけの土工”と言い切った凄さ。
本当に体験しているものだけに言い切れる表現。力強いですねぇ。たくましい。

土工でズバッと切っておいて、“
霜柱”という二文字をドカッと据えた凄さ。
まいりました」 

小三治が真に感服している姿が浮かぶ。
私にとっての桃源郷は、実はホームレスに身をやつした土工の姿である。

多羅尾判内の「七つの顔の男」ではないが、(林家木久扇の声色で)「ある時は○○、またある時は××、しかしてその実体は・・・!」(ここで名乗りを上げる)。
かつての土工が、片岡千恵蔵こと藤村大造に見えてくるではないか。

ホームレスの中には、陶淵明やディオゲネスが一杯いることを、この噺は教えてくれる。

古代ギリシアの哲学者のディオゲネスは自足の生活を送り、樽の中に住んでいた。
ある時、アレクサンドロス大王がやって来て、「望みがあれば申し出よ」と言葉をかけたとき、放った返事が、「ちょっとどいてくれ。おまえがそこに立つと、わしが日陰になって困る」

かくして、『ま・く・ら』は、私にとっての座右の書となった。
いつでも桃源郷へ誘ってくれる。
ときに、心のうらぶれを開放する上等の枕なのである。   

                                     (刈谷文協文芸誌「群生」寄稿)



2009.07.11(Sat)
川柳七句

秘め事をひとつ抱えてカンナ燃ゆ

黎明の窓辺にやがて射す西陽

熱のある夜は寓話の水を飲む

銀河なら溺れることも厭わない

汗拭う悲しみひとつ消してゆく

微熱に慣れて白桃熟れはじめ

頼りない日々を華麗に掴み取る



2009.07.05(San)
作品集「はらわた」

月曜日、先週このページで紹介した浅利猪一郎さんの作品集「はらわた」が届いた。
句集だと思い込んでいたが、エッセーもいくらか添えられており、作品集ということだった。

句もさることながら、エッセーが良い。文章全体に詩情が込められ、ややもすると乾きやすい紙面をいつまでもしっとりさせている。この人は根っからの詩人なのだろうか?

 ひとは何かの機会によってこころを入れ替えることが出来る。
 さっと身構える習癖もいつか不要な日が来るだろうが、毎日晴天という訳にもいかない。

 ただ、いつも嵐ということもない分救われる。
 これも神様のお陰かもしれないね。

 風穴とはおつな表現。振り返る思い出も、未来への不安も心のどこかにある風穴をするりと
 通り抜け、現実という多忙な道へと戻してくれる。

 膨張するやわらかい思いの大きさを包み込むように。

句では、下のものが好きだ。

 月下美人日向に咲けぬ罪を持つ

 人肌の温みに爆ぜる石榴の実

 何を怒っているのかカンナの燃え具合

 まずひとつ近い処から夢を喰う

 はらわたを喰らう真冬の鼠たち

意味不明?という人は、ご連絡ください。
手取り足取り解説します!



2009.06.27(Sat)
句集「はらわた」

木曜日の中日新聞・朝刊に、敬愛する川柳作家・浅利猪一郎さんの句集が紹介されていた。
句集の題名は「はらわた」。自分の中のあらわなものを表したのだ。

 人間と呼ばれ欠陥品である

 巻き戻すたび美しくなる母よ

 反骨のペン筆圧が強くなる

の三つが新聞に登場している。

浅利さんは、「川柳きぬうらクラブ」(半田市浜田町)の主幹。昨年大病を患い身内の死にも遭遇。大きな闇を体験したため人生観に変化が起きたという。

早速、句集を注文した。どんな句に出会えるか、今から楽しみである。ちなみに、「川柳きぬうら」2007年11月号が手元にあるが、浅利さんはこんな句をしたためている。

 生傷が絶えぬ 男の盛りとか

 紫煙揺らすのは想いに焦げる風なのか

 メダカでも蟻でもいいさ本籍地

 落丁のページにあったのが素顔

 ただ酒は美味いね ワイン試飲会




2009.06.13(Sat)
川柳七句

眠る子に明日は見せたい青い空

リセットをしたい雨脚遠ざかる

木漏れ日のように天使が降って来る

なりゆきの恋でもいいさ南風

抱いた子の乾かぬ翅が愛おしい

雨の傷クレヨンの雨もっと降れ

事件簿に哀しい恋が仕舞われる



2009.05.24(San)
祈りの季節

窓から冷たい風が流れてくる。半袖の身には、少し寒い。
初夏の風も、夜はいくぶん冷気を伴い、西から流れてくるようだ。

昼は、散歩がてらお好み焼き屋の暖簾をくぐる。肉玉をひとつたのむと、甘辛のソースの匂いが鼻をくすぐる。鉄板の上で、幸せの時間を焼いているかのようだ。

水曜日、久しぶりに体重が六十`台になった。
十数年ぶりだろうか、日課である早足の歩行がようやく効いてきた。

酒を止めれば目方などすぐ減るが、酒を止めるくらいなら人間を止めた方がいい。
そんなことを本気でうそぶいているのか、自分でも分からない。

やや中途半端な季節は、時の流れに身を任せていくしかない。
「他力」に身を委ね、静かに祈ってさえいればいい。

何に祈るのか?太陽、空、風、樹々、花々・・・・。
やっぱり綺麗なお姉さんに祈りたいが・・・・。



2009.05.17(San)
飛騨の旅

聞きしに勝るいい町だった。山間の町はどこかしっとりしていて、それでいて艶があった。
営々と積み重ねられた歴史のなせる業だろう。

飛騨高山・・・・そして、飛騨古川・・・・五月の連休を利用しての家族旅。
まだまだ桜が見頃で、高山の川添を歩いていると、落花の舞に遭遇した。

物の本にあるように、高山は飛騨牛の里だ。町のいたる所に牛の串刺しが売っている。
それから、みたらしだんご、塩せんべい、高山ラーメン。

町中に地酒蔵が多いのには驚いた。日常で普通に聞く蔵元があって、「あの酒はここで造ってたんだ!」という郷愁に似た気持ちが湧いてきた。

おそらく町並の骨格を作っているのは、こうした酒蔵の土塀なのだ。
これが、町に潤いを与え、旅人の心を掴んで離さないのだろう。

「本陣 平野屋別館」に居を構えて、さて出陣。一人ぶらっと居酒屋に立ち寄り、地酒を酌む方が旅の情緒はあるが、高山の素の顔を家族で歩いて見るのも楽しい。

翌日は、飛騨古川。郡上八幡に似た水の町だ。ここでの名物は、三寺参り
三つの寺に参り、瀬戸川沿いにかざした灯火に向かって男女の出会いを祈願する。

冬の幻想を余すところなく伝えていくならわし・・・・今年もまた、恋のご利益はあっただろうか?

帰りのJRの社内、高山駅前で買った「高山地ビール」に酔いしれた。



2009.05.09(Sat)
川柳七句

移り気な花の匂いをラップする

紅を引く花はいのちを思うのか

少しずつおとなになれる南風

あの頃の翅をくすぐる風の街

初めてのお使い夕陽との出会い

あした出てゆく町に恋唄ながれ

幸せにときどき出会う風の位置



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