泣きそうな心に花の絵を描こう
花を描く時間やさしく夕焼ける
確かこんな感じだった。思ったよりもいい。深夜には少々アルコールが入っているので、作句したての出来栄えは時にすばらしく映るが、眠りから覚めると、大半は使い物にならない。 昨夜は、テーマを花に絞ったのが良かった。花は人の心に安らぎをもたらす。 崇高な神々に微笑をもたらすのだ。
句もそうだが、絵も文もこのところ意識的に花を描いている。花は女性に通じる。 しとやかで穏やかな淑女、無垢でしなやかな少女、悪女、娼婦・・・・を花に見立てていく。 同じ作るなら、潤いのある恋の句がいいし、恋の絵を描きたい。 人生、色恋もなければ、悟りは開けないのだ。
自分で言うのも何だが、花が好きである。 草花、鉢花に花木、山野草。 花の咲いている場所へぶらりと出かけ、旬の花を目で追っていくのが楽しい。 盛りの時期は毎年少しずつ違うが、季節の花は大抵裏切らない。
今年もアネモネに始まり、蝋梅、枝垂れ梅と白木蓮、片栗の花。それから桃・桜を経て、初夏の花へと続くフルコース。なかでもミササガパークの薔薇は見事だった。下は、その日の日記。
夕刻、ミササガパーク(刈谷市半城土町掛貝)へ薔薇を見に行った。 薔薇と芝桜で有名な、バーベキューなどが手軽に楽しめる刈谷市の観光スポットだ。
入場料無料、バーベキュー施設も予約など一切必要とせず、先着順で無料で借りられる。 その手軽さで、土・日・祭日はいつも満員。親子連れにとって、絆を育むもってこいの場所だ。
園内の薔薇が見頃。五月の薔薇とはよく言ったもので、夕刻の光が花や枝にやさしく溶け、 淡い光の層が目の前で躍っている。印象派の絵を見ているかのようだった。
薔薇園の中で、ひとり花を世話している若い(?)女性。落ち着いた仕事ぶりで、花がら処理 や剪定といった細かな作業をしていた。 こうした人手がいつも、花を美しく育てる。 美しい景色の中に、何気ない行為が凛と佇んでいるのだ。 ミササガパークへは、この一年に何度も来ているが、薔薇や芝桜の美しさもさることながら、 こうした世話人のやさしさを見に来ているのだろう。
何とも粋な日記ではないか。花好きだが、花を育てることに手が回らない半人前の身には、花を育てる人への感謝を忘れてはいけない。 我が家でも、日当たりを気にしたり、水遣りを欠かさずにしてくれる人がいるからこそ、花壇や鉢植えの花が昨年と同じ花を咲かす。この際、妻にも感謝だ。
先日、得意先の歯科医院を訪問すると、診療室の窓辺に何ともいえない清楚な花々。 花水木に似ているが、花水木とは咲く時期が異なっている。 花は散り際を迎えて、一片一片散るのを待つかのように凛と佇んでいる。 さて、花の名は。
花図鑑を買った。「初夏の花木」の項に、それらしい花を見つけた。「山法師(ヤマボウシ)」。 比叡山の僧兵のような名は、元々野趣が持ち味ということか。 「近縁種の花水木に似るが、花水木は苞の先端が凹むのに対し、山法師は先端が尖る」とある。「近年、庭木として盛んに利用されるようになった」とも。 こうして覚えた花が増えていくのは、うれしい。 新しい花々が、私の花図鑑に少しずつやさしさを刻んでくれる。
花図鑑のどこか隠れている君よ
花図鑑を買ったついでに作った川柳である。やはり女性(?)が出てきた。汚れを知らぬ少女のようであるし、娼婦に身をやつした、生きるのに精一杯な女性のようでもある。 少女は可憐な花を探して花図鑑の中をひとり彷徨う。真夏の陽光が肩に背に降り注ぐ。 葉裏で憩う蝶のように、ひと時の涼を求めたのか。
これでは、きれい過ぎてリアリティがない。ならば娼婦の線か。 ネオン街で身を売っているもう若くはない女性。常連の客はひとり去り、ふたり去り。 しかし、この仕事を措いて他に続いたためしがない。 今日もまた、この店の煤けた一室で来るあてもない客を待っている。 少女か娼婦か、花はどちらにもなり得るのだろう。清楚な花が淫らだったり、妖艶な花が少女の恥じらいを持っていたり、それは見る者の心が決めることである。 咲いては散っていく花々。咲く時のときめきはやがて、散りゆく時のノスタルジアに変わる。 それらを女性になぞらえて、男はまた、この先数千年を生きていくのだろう。
私の記憶の中にまだ隠れている君よ。かつて愛した人を、私は、私の花図鑑の中に探そうとしているのだ。 (刈谷文協文芸誌「群生」寄稿)
時折、書棚に飾られた本を手にとって眺めることがある。その本を開くわけでなし、カバーだけを見つめている。読み終えたばかりの本であれば、余韻を噛みしめる行為であるし、何年か前に読んだものであれば、そのときの印象を思い出す儀式であったりする。
思いがけずいい酒に出会ったとき、そのボトルに頬ずりするように、いい本にもささやかな視線を投げ掛けてあげたい。カバーは、その本の象徴だから、作者の顔や意図が見え隠れするものだが、それは読後に初めて分かるものだ。
当代の落語名人、柳家小三治が本を書いた。 噺家としての時間という、身銭を切った言葉の修業は、本を書くにしても充分な成果を作り出すが、ナイーブを絵に描いたような小三治が「本作り」とは、どういう風の吹き回しか。 しかし、タイトルを見てピーンときた。 タイトルは、『ま・く・ら』と『もひとつ ま・く・ら』(講談社文庫)。
カバーデザインを南伸坊が担当。いずれの本にも枕がひとつ写されている。 「福徳陶枕」と「い草角枕」だ。 「小三治は首痛解消のため、寝床の枕元に常時二十ほどの枕を置いているというから、これらは、枕と睡眠についての健康本なのだ」と早合点してはいけない。 「まくら」は噺のまくら。落語のイントロである。ストーリーに入る前に軽く短く喋る。 しかし、小三治はまくらをみっちりやる。 身辺の出来事を温かな目で見つめ、四方八方から、そのユニークな大鉈を振りかざしていく。 ふたつの本は、そうした小三治独自の視点を集めた作品集なのである。
本を手にすると、文庫本でありながら、枕になるほど分厚い。 薄くて活字の大きいスカスカの本が喜ばれる昨今、小三治のそのナイーブさがそうさせるのか、売れることを粋に思わぬ魂が採算を度外視させるのだろうか。 ふたつ重ねれば高さとしては申し分ない。 真夏の昼下がり、扇風機の弱い風に当たりながらうたた寝するには最上だ。 ときに桃源郷へ誘ってくれる。
山谷俳句会が小三治噺に登場する。 ドヤ街の簡易旅館の一室で毎月開かれる句会だ。 二百円の会費で誰でも句会に参加できる。 二十数年の記録がすべて大学ノートに残されている。 十七、八年前に、ある俳句会で断トツだった句がある。 それを作った人は、今は句会には来ていないが、どこで何をしている人なのだろうか。 それを追跡するというドラマがあった。
方々調べて突き止めたところ、新宿の地下道で段ボールを周りにめぐらして、横になっているホームレスの人だった。 インタビューした。 「この俳句作ったの、覚えてますか」 「いやぁ、おぼえてねえな」 「今やってますか」 「ま、ときどき考えることもあるけどな。やってねえやな」 「この句はどうやって作ったんですか。どんな状況です?」 「いやぁ、そら覚えてねえから」
「あたくしはね、ときどき、まあ新宿の住人ですから、新宿の地下道はよく見ますし、あの、こう、なんか避けて通りたくなるような、いるんですわ。ええ。 ところがその中にね、そういう隠れた名人がいるとは思いませんでしたよ。 佳い句なんです、この句が。 山谷で十七年前のこれが一番になった句ね、毎日、日雇いや何かして暮らしてるわけでしょ。 でー、仕事もらえた人はいいけども、もらえない人は、区の事務所だか、国の事務所だかに並んで、その日のあぶれ手当ってのをいくらかもらって、で、インスタントラーメンと、なんか、っていう。 そんなものを食ってしのぐんですわ。 そういうような暮らしをしている。 それがね、見事に出ていましたね。 弁当の数だけの土工霜柱
っていうんですよ。こーれはびっくりしちゃってね。 “弁当の数だけの土工”っていうところに、そのやっともらえた仕事、しかも弁当がもらえる。 なかなか弁当をもらえるなんていう仕事はめったにないかもしれない。 だけども、やっぱり弁当の数だけしか土工はいない。 土工の数の弁当が並んでいるのが見えます。 世知辛さ仕事の厳しさ、そういうものがぜんぶ織り込まれてね。 そんな理屈より“弁当の数だけの土工”と言い切った凄さ。 本当に体験しているものだけに言い切れる表現。力強いですねぇ。たくましい。 土工でズバッと切っておいて、“霜柱”という二文字をドカッと据えた凄さ。 まいりました」
小三治が真に感服している姿が浮かぶ。 私にとっての桃源郷は、実はホームレスに身をやつした土工の姿である。 多羅尾判内の「七つの顔の男」ではないが、(林家木久扇の声色で)「ある時は○○、またある時は××、しかしてその実体は・・・!」(ここで名乗りを上げる)。 かつての土工が、片岡千恵蔵こと藤村大造に見えてくるではないか。 ホームレスの中には、陶淵明やディオゲネスが一杯いることを、この噺は教えてくれる。
古代ギリシアの哲学者のディオゲネスは自足の生活を送り、樽の中に住んでいた。 ある時、アレクサンドロス大王がやって来て、「望みがあれば申し出よ」と言葉をかけたとき、放った返事が、「ちょっとどいてくれ。おまえがそこに立つと、わしが日陰になって困る」
かくして、『ま・く・ら』は、私にとっての座右の書となった。 いつでも桃源郷へ誘ってくれる。 ときに、心のうらぶれを開放する上等の枕なのである。 (刈谷文協文芸誌「群生」寄稿)