あおみ労務事務所
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「晴耕雨読」という言葉を、今しみじみ味わっています。
「晴れた日には畑を耕し、雨の日には読書する」すこぶる人間らしい気がします。
宮澤賢治が「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・」と手帳に記したように、このページでは、心に浮かぶままの考え・感想や日常での出来事、変わりゆく景色などを、詩やエッセイなどの形で、気軽に綴っていきます。
2010.08.29(San)
今年も出ました!

「自分ではどうしようもない時、お姉ちゃんはひとりで悩む?」

「そんな時は、誰かに相談したり、協力してもらうよ」

「そうだよね。自分ひとりじゃ、解決しないよね」

「ひとりで悩んでない方がいいよ」

「よかった!宿題手伝って」

「・・・・・」

上の会話は、木曜日の中日新聞「ちびまるこちゃん」。
噺家を彷彿させる見事な“オチ”に、思わず笑ってしまった。

8月最後の日曜日となった。空や風が、少しずつ秋らしくなってきた。
雑誌や新聞も、秋の特集を載せている。

そうだ、昨夜飲んだビールが「きりん秋味」。
コクと深みがあって相変わらずうまい!

今年の「秋味」の缶の絵柄は、晩秋のもみじを思わせる“濃く深い秋”といった風情。
晩夏の風物詩が、またよみがえった。

3ケースほど買っておこうかな・・・・。


きりん秋味(2009)

2010.08.14(Sat)
川柳七句

海へゆく時間を残し夏終える

遊園バス少年の日の笑い皺

驟雨来て蛍光ペンを光らせる

遠花火あすはやさしい絵を描こう

まだ父が蒼くはしゃいでいる海よ

宇宙遊泳しているポトスの伸び盛り

海の絵に君が使わなくなった青



2010.08.01(San)
花図鑑

蝉時雨で目が覚めた。梅雨が明けてからの暑さといい、蝉の異常なほどの鳴き声といい、とてつもなく崇高な何かが怒っているのでないか、と疑ってしまう。

怒髪天を衝くのは、安眠を解かれた私にしてもそうで、半ば徹夜の身には、この寝不足はかなり堪える。
昨夜は一夜漬けで川柳を作った。月例会で披露するためのものだ。

「どんな句になったか」「いいものはできたのか」と、まだ眠りから覚めていない頭で思い出そうとした。

 花切手貼る日のくるぶしが軽い          

 泣きそうな心に花の絵を描こう         

 花を描く時間やさしく夕焼ける         

確かこんな感じだった。思ったよりもいい。深夜には少々アルコールが入っているので、作句したての出来栄えは時にすばらしく映るが、眠りから覚めると、大半は使い物にならない。

昨夜は、テーマを花に絞ったのが良かった。花は人の心に安らぎをもたらす。
崇高な神々に微笑をもたらすのだ。                

句もそうだが、絵も文もこのところ意識的に花を描いている。花は女性に通じる。
しとやかで穏やかな淑女、無垢でしなやかな少女、悪女、娼婦・・・・を花に見立てていく。

同じ作るなら、潤いのある恋の句がいいし、恋の絵を描きたい。
人生、色恋もなければ、悟りは開けないのだ。                       

自分で言うのも何だが、花が好きである。
草花、鉢花に花木、山野草。

花の咲いている場所へぶらりと出かけ、旬の花を目で追っていくのが楽しい。
盛りの時期は毎年少しずつ違うが、季節の花は大抵裏切らない。    

今年もアネモネに始まり、蝋梅、枝垂れ梅と白木蓮、片栗の花。それから桃・桜を経て、初夏の花へと続くフルコース。なかでもミササガパークの薔薇は見事だった。下は、その日の日記。          

 夕刻、ミササガパーク(刈谷市半城土町掛貝)へ薔薇を見に行った。
 薔薇と芝桜で有名な、バーベキューなどが手軽に楽しめる刈谷市の観光スポットだ。

 入場料無料、バーベキュー施設も予約など一切必要とせず、先着順で無料で借りられる。
 その手軽さで、土・日・祭日はいつも満員。親子連れにとって、絆を育むもってこいの場所だ。             

 園内の薔薇が見頃。五月の薔薇とはよく言ったもので、夕刻の光が花や枝にやさしく溶け、    
 淡い光の層が目の前で躍っている。印象派の絵を見ているかのようだった。                    

 薔薇園の中で、ひとり花を世話している若い(?)女性。落ち着いた仕事ぶりで、花がら処理
 や剪定といった細かな作業をしていた。

 こうした人手がいつも、花を美しく育てる。
 美しい景色の中に、何気ない行為が凛と佇んでいるのだ。

 
ミササガパークへは、この一年に何度も来ているが、薔薇や芝桜の美しさもさることながら、
 こうした世話人のやさしさを見に来ているのだろう。

何とも粋な日記ではないか。花好きだが、花を育てることに手が回らない半人前の身には、花を育てる人への感謝を忘れてはいけない。

我が家でも、日当たりを気にしたり、水遣りを欠かさずにしてくれる人がいるからこそ、花壇や鉢植えの花が昨年と同じ花を咲かす。この際、妻にも感謝だ。

先日、得意先の歯科医院を訪問すると、診療室の窓辺に何ともいえない清楚な花々。
花水木に似ているが、花水木とは咲く時期が異なっている。

花は散り際を迎えて、一片一片散るのを待つかのように凛と佇んでいる。
さて、花の名は。                   

花図鑑を買った。「初夏の花木」の項に、それらしい花を見つけた。「山法師(ヤマボウシ)」。
比叡山の僧兵のような名は、元々野趣が持ち味ということか。

「近縁種の花水木に似るが、花水木は苞の先端が凹むのに対し、山法師は先端が尖る」とある。「近年、庭木として盛んに利用されるようになった」とも。

こうして覚えた花が増えていくのは、うれしい。
新しい花々が、私の花図鑑に少しずつやさしさを刻んでくれる。

 花図鑑のどこか隠れている君よ

花図鑑を買ったついでに作った川柳である。やはり女性(?)が出てきた。汚れを知らぬ少女のようであるし、娼婦に身をやつした、生きるのに精一杯な女性のようでもある。

少女は可憐な花を探して花図鑑の中をひとり彷徨う。真夏の陽光が肩に背に降り注ぐ。
葉裏で憩う蝶のように、ひと時の涼を求めたのか。

これでは、きれい過ぎてリアリティがない。ならば娼婦の線か。
ネオン街で身を売っているもう若くはない女性。常連の客はひとり去り、ふたり去り。

しかし、この仕事を措いて他に続いたためしがない。
今日もまた、この店の煤けた一室で来るあてもない客を待っている。   

少女か娼婦か、花はどちらにもなり得るのだろう。清楚な花が淫らだったり、妖艶な花が少女の恥じらいを持っていたり、それは見る者の心が決めることである。

咲いては散っていく花々。咲く時のときめきはやがて、散りゆく時のノスタルジアに変わる。
それらを女性になぞらえて、男はまた、この先数千年を生きていくのだろう。

私の記憶の中にまだ隠れている君よ。かつて愛した人を、私は、私の花図鑑の中に探そうとしているのだ。
                              (刈谷文協文芸誌「群生」寄稿)



2010.07.10(Sat)
川柳七句

凡人で良かったシャケの握り飯

いつまでも旬な夫婦で花を買う

虫けらを蹴散らす人の匙加減

遠い日を探しにポストまで歩く

画用紙いっぱいに弾む雨上がり

予定ない手帳に海の日が揺れる

真直ぐな絵筆で自分史を描こう



2010.06.12(Sat)
川柳七句

水彩の淡さで駆けた小さい恋

姿見のなかで季節の花を選る

潮騒の中に泣き切るまでいよう

泣く時の袖に溜まってゆく夕陽

一枚の絵を折りたたむ月下美人

限りないやさしさ銀河から貰う

人を癒す花に涙の痕がある



2010.06.06(San)
鉢植えの紫陽花

今日、紫陽花を見に、額田郡幸田町の“本光寺”と蒲郡市形原温泉の“あじさいの里”へ。
毎年の恒例行事ながら、どちらも二分咲きといったところで、少々残念!

今年度も、桜に始まり、かきつばた、薔薇、紫陽花、そして花菖蒲へ・・・・。
スケッチ旅行などもしてみたいが、今は、いつかの楽しみとしておこう。

紫陽花の鉢植えが、我が家のささやかな庭でいくつか花を咲かせている。
あじさいの里で、妻の買った鉢植えが、毎年律儀に花をつけてくれる。

日当たりを気にしたり、水遣りを欠かさずにしているのだろう。
それで、この季節に昨年と同じ花を咲かす。

今年の花もまた命は短いが、その短さゆえに尊いものがある。
先日読んだ本(生きるのが下手な人へ 紀野一義著)の中に、こんな歌があった。

 何もかも我一人(われいちにん)のためなりき 今日一日のいのちたふとし

この歌が理解できるのは、遥か遠い日・・・・だろう!


形原温泉・あじさいの里



2010.05.15(Sat)
ミササガパークの薔薇

夕刻、ミササガパーク(刈谷市半城土町掛貝)へ薔薇を見に行った。
バラとシバザクラで有名な、バーベキューなどが手軽に楽しめる刈谷市の観光スポットだ。

この公園は、刈谷市の市制施行50周年とミササガ市(カナダ)との友好姉妹都市提携20周年を記念して、2001年に開園した。

入場料無料、バーベキュー施設も予約など一切必要とせず、先着順で無料で借りられる。
その手軽さで、土・日・祭日はいつも満員。親子連れにとって、絆を育むもってこいの場所だ。

園内のバラが見頃。“五月のバラ”とはよく言ったもので、夕刻の光が花や枝にやさしく溶けて、淡い光の層が目の前で躍っている。印象派の絵を見ているかのようだった。

バラ園の中で、ひとりバラの花を世話している若い(?)女性。
落ち着いた仕事ぶりで、花がら処理や剪定といった細かな作業をしていた。

こうした人手がいつも、バラを美しく育てる。
美しい景色の中に、何気ない行為が凛と佇んでいるのだ。

ミササガパークへは、この1年に何度も来ているが、バラやシバザクラもさることながら、こうした世話人のやさしさを見に来ているのだろう!


薔薇の剪定



2010.05.08(Sat)
川柳七句

いっぽんの背骨に軽い緑さす

口笛を吹こう心が乾くから

父の眼で歩くと遠い波の音

斜め読み心の穴を埋めている

泣く時の修正ペンが柔らかい

反骨のおとこの火花走り出す

恋人へやさしく続く滑走路



2010.05.04(Tue)
五月病乗り切り術

中日新聞社が発行しているミニ雑誌「Clife」を毎月楽しみにしている。
雑多な生活情報が上手に彩られ、読んでいて退屈しない。

「あなたのお知恵拝借」コーナー。今月のテーマは“五月病 乗り切り術”。
読者から寄せられた“お知恵”を紹介します。

映画を見に行きます。ほんの数時間別世界に入り込めば、さっきまでの日常なんて忘れてしまいます。映画館を出ればまた現実ですが、心の荷物は軽くなります。(名古屋市40歳)

晴れた日に高いタワーに上ります。豆粒大の人間が動くのを見下ろし、自分もちっぽけな人間のひとりなんだなぁって思います。悩みなんて案外小さなことばかり。(瀬戸市37歳)

整理整頓します。キレイになると、不思議と意欲がわいてきて、まず何に取り組めばいいか見えてきます。身の回りから頭の中へと整理できます。(知立市51歳)

とっておきのお取り寄せで乗り切ります。普段は贅沢に思えても、凹んだときには何より心に栄養が必要。おいしいって思える内は大丈夫と自分に暗示をかけるのです。(一宮市49歳)

出勤する車の中で、嫌だと思っていることを大声で叫び、気が済んだら窓を開けて空気の入れ替え。今度は“今日一日頑張ったらどんなケーキを買おうかな”と考えます。(鈴鹿市40歳)

軽い運動が良いと聞きサイクリングをしています。外の空気を吸いながら季節や町並みの変化を感じると、気分爽快!(半田市35歳)

五月病、みなさんは大丈夫ですか?私のイチオシはやはりお風呂。ゆっくり入ってリラックスすれば翌朝の目覚めもスッキリですよ。(編集者)

 青空のどこかに潜む五月病          比呂志



2010.04.10(Sat)
川柳七句

悲しみを少し食べてる花曇り

うどん屋の湯気から貰う温かさ

泣きそうな心に花の絵を描こう

深呼吸するたび軽くなるリュック

花の絵を描くと心が走り出す

掌にやさしいカケラだけ残す

交差する心を添える仲直り



2010.04.04(San)
東山はあの頃と同じ風景!

何年ぶりかで足を運んだ東山。
家人に誘われて、三男坊と三人で繰り出した。

動物園と植物園、そして万葉の散歩道。
霧島ツツジだろうか?細かな淡い紫の花が、凛と咲いていた。

合掌造りの裏手には、遅い椿の花々。
半分は花をすでに落とし、半分がまだ見ごろだ。

鳥たちが、椿の枝を揺らしながら葉から葉へ渡っていく。
目の前で、四月の花々に木霊していく小さな鳥の、その生命。

東山の奥行きを醸し出している竹林を風が静かに抜けていく。
その横で、カタクリの花やレンギョウ、ユキヤナギ、シャクナゲが咲き揃う。

そして、東山全体をやさしく染める桜。
満開の桜の下にどっと構える褐色の老木がゆるぎない。

それらは、三十年前と同じ風景だった。

昨日は、岡崎観光協会主催の「春の市民川柳大会」に参加。
デキは相変わらず良くないが、それでも一句が天に抜かれた。

 絶筆の日までたてがみ光らせて

お題は、「髪」。四日市川柳会主幹の菱川麻子さんのお陰で「東海愛知新聞社賞」を受賞。
下は、この時没になった自信句。川柳の奥行きを今更ながら感じている!

 追憶を吹く風いつまでも甘く



2010.03.28(San)
少し、感傷的に!

事務所の机の上のポトスの鉢植えが、いい味を醸し出している。
緑が少し添えられただけで、気持ちも新しくなる。

今日は、まだ三分咲きの早い花を見に、多くの人が桜の名所に繰り出しただろう。
忙しい体には、花見が現実味を帯びない。だいぶ花が開花しているというのに・・・・。

カレンダーを繰ると、今週はもう四月が来る。
しばらく続いた雨の冷たさが、春を忘れさせていた。

そうか、四月なんだ。出会いと別れが半々の年度のはざま。
別れの方が、遥かに記憶に残っている。

追憶を吹く風は、いつまでも甘い。
棕櫚(しゅろ)の葉が騒ぎ、手を振っている。

別れのときが、いつも胸の片隅に佇んでいる。


ポトス



2010.03.13(Sat)
川柳七句

花匂う花のありかは聞かぬよう

掌のなかで逢える切符を温める

花を描く時間やさしく夕焼ける

白線を越えて大人になってゆく

おはようの声弾むこの町が好き

啓蟄の少しやさしい曲がり角

靴揃え人の心へ上がります



2010.03.07(San)
寄席が甦る!

木曜日、久しぶりにじっくり落語を聴いた。
寄席に行ったわけではなく、パソコンの画面から流れるインターネット落語。

演目は、昨秋に亡くなった三遊亭円楽さんの「茶の湯」「悋気の火の玉」と川柳川柳(かわやなぎ せんりゅう)さんの「ガーコン」「僕は泣いちっち」、そして立川談志さんの「漫談1980」。

円楽さん、談志さんが若い。ともに脂が乗り切っている円熟期の動画だ。そして、いずれも品がある。テレビで売れる噺家は、一様に気品というものを持ち合わせている。

川柳さんは相変わらず元気がいい。そして、若い頃に持ち合わせていなかった品格を、78歳の今、身につけたように思われた。30年前に聴いたジャズ落語のリズムと少しも変わらない。

インターネットはありがたい。聴きたい噺を瞬時に再生してくれる。
芋焼酎のグラスを揺らしながら、今また、円楽さんの「薮入り」に耳を奪われる。

高座のそでに、餅花が飾られている。客席には、着物姿の婦人が多く見つけられる。
寄席・若竹の正月興行なのだろう。その若竹もすでにないが・・・・。

東京を離れた日からすでに25年。四半世紀が地球儀のように蒼い時空をまわる。
しかし、決して忘れることのできない日々が、またインターネットで甦る!



2010.02.13(Sat)
川柳七句

逢いにゆく列車が柔らかく躍る

まだ恋が胸の火縄でくすぶるか

銃声をそっとかき消す空がある

悲しみを積木のようにして遊ぶ

地の果てへ愛がこぼれてゆきそうだ

胸の澱吐き出し明日を迷わない

陽はすでに春の匂いを解き放つ



2010.01.24(San)
桜咲く!

金曜日は、碧南市の櫻鮨(さくらずし)にて、中小企業家の集いのグループ会。
次年度のグループ会もすでに決まっており、それで、現グループ会は、その日が最後だった。

通常のグループ会は、担当者の会社を訪問して、経営についての勉強をするのだが、その日は、飲んで、喋ってだけの会に始終した。まぁ、新年会のつもりなのだろう。

櫻鮨には、部屋ごとに旬の花が生けられていて、私たちの部屋には、シンビジュームがすずらんのような大振りの葉を背景に生けられていた。

カウンターの横には、甕のような大きな花瓶に桜が数本。
寿司屋の花器は、季節を先取りしてるのがよく分かる。

帰り、名鉄電車がすでに最寄の駅に停車していた。本当なら、すぐに発車するところだが、車掌がまだ駅舎で切符を買っている私を待っていてくれた。無人の駅は、その辺が融通が利く。

そのとき、落語家・三遊亭円生さんが、かつて地方巡業へ行ったときの思い出話が浮かんだ。
落語が跳ねて、円生さん一行が汽車に乗ろうとしたとき、すでに汽車は発車した後だった。

しかし、車掌が目敏く一行を見つけ、途中で汽車を止め、後方へ引き返したのだった。
その汽車に乗り無事、次の巡業先に行けたというのである。

誠におおらかな時代だったと、円生さんは述懐していた。
さて、睦月も下旬。今年の目標も決めないまま、時は早足で過ぎてゆく!


桜並木



2010.01.17(San)
川柳七句

雪虫舞う別れのときが近くなる

ワイシャツの皺が眩しい月曜日

午睡して静かに時を巻き戻す

観覧車降りると何か終わりそう

戻りたい日も走り続けている木馬

颯爽と別れは羽を選りたがる

リズム感なく木曜の肩の凝り



2010.01.10(San)
観覧車

出窓から差し込む柔らかい日差しを浴びている。
元旦から続く青い空が、なぜか懐かしい。

飛行雲・・・・のせいだろうか、小春日和を思う空だ。
初春は、恒例の知多湾岸の散策。例の20`コースだ。

衣浦大橋から亀崎を抜けて、半田を海岸線沿いに進む。
広大な田園をひたすら、一人だけの歩行が楽しい。

殺風景な冬の田畑から、また新しいものが芽生えてくる予感。
希望は、人の気持ちを落ち着かせていく。

この散策の日の朝、次男坊の高校受験を祈願して、岩津の天神さんへ。
息子が絵馬を奉納する横で、御神籤を引いた。

運勢は「大吉」!

 災害自から去り福徳集まり 誠に平地を行くが如く 追手の風に舟の進むが如く
 目上の人の助をうけて 喜事があります 信神怠らず心直く行い正しくなさい

「こいつぁ〜春から縁起がいい」と言いたいところだが、苦労人はなぜか身構える。
人の浮き沈みを多く見てきたからだろう。素直に喜べばいいのに・・・・

広大な田園からおさらばして、衣浦海底トンネルへ向かう。
埠頭に林立する工場の群れ。そして、野球場、凧揚げに適した広い公園。

トンネルを抜けると・・・・雪国・・・・そんなはずはないが、よく整地された碧南の歩道。
いつ歩いても気持ちがいい。

明石公園の枯れ葉を踏みしめながら、
少しだけ新しい年を噛み締める!




       2人だけで観覧車
     どんな景色が見えたかな?



2009.12.12(Sat)
川柳七句

冬支度もう抜け殻でいられない

この手から滴り落ちるものは何

まだ木偶でいられる温さ冬木立

破調の日は少しこころの澱を取る

涙目だから見えるモノクロの過去

句読点今日も打てずに毛づくろい

疲れたら冬の星座に抱かれる



2009.11.29(San)
いのちを散らす前の輝き

ストーブが恋しい季節だ。
少しの“暖”があれば、動きが速くなる。

なければ、体に必要以上の力が入り、肩こりだけが残る。
これでは、歌も句もいいものはできそうにない。

今日は、岡崎川柳研究社主催の「秋の市民川柳大会」。
岡崎城に隣接する「龍城(たつき)神社 斎館」で行われた。

岡崎城を囲む樹木が美しかった。晩秋の樹木はどうしてこんなに美しいのか?
紅葉した葉はどれも、いのちを散らす前の輝きを放っている。

それは死を覚悟したものだけに宿る輝きなのか?
川柳の方はといえば、紅葉のようにはらはらと散った。

惨敗とまではいかないが、気持ちは敗北である。入選句は下。

 冬の陽へあなたを洗う水が澄む      (「澄む」 浜口剛史選)

 深呼吸しながら秋が紅くなる        (「樹」 水野奈江子選)

 風走る胸の火縄が燃えてくる        (「走る」 宮村典子・新海照弘共選) 

 原石のままのあなたと結ばれる      (「結ぶ」 鷲見敏彦・會田規世児共選)

今大会では、「川柳きぬうらクラブ」主幹の浅利猪一郎さんが、優秀賞をほぼ総なめ。
浅利さんの作品集「はらわた」は、以前このページで紹介させてもらった。

大会終了後、その浅利さんが声をかけて下さった。
そして、ホームページで紹介したことの礼を述べられた。

うれし、はずかしの極み!
川柳の指導を頂きたい人である。



2009.11.14(Sat)
川柳七句

秋の陽へ寄り道したい二人きり

この指に止まるあなたの手の温さ

甘い風もう軽くなっていいですか

落花舞う音をこころの耳で聴く

てのひらの上にあなたへ続く道

深呼吸しながら秋が紅くなる

もう少し感じていたい甘い風



2009.11.08(San)
収穫祭とデンパーク

先週の日曜は、刈谷産業振興センターにて「刈谷文協川柳大会」。
俳句や川柳の大会が続いているが、晩秋は文化に親しむ時期なのだ。

「真ん中」「軽い」「澄む」が兼題。
これはという作品はできなかったが、それでも何とか作句したのが下。

 食育の真ん中にある箸・茶碗

 星の夜は母が真ん中にいてくれる

 甘い風もう軽くなっていいですか

 花切手貼る日のくるぶしが軽い

 原石のかたちで澄んでいるあなた

 海へ行く人それぞれが青く澄む

「原石のかたちで澄んでいるあなた」は、少々自信があったが、選者は気まぐれだから選に入るかどうか。「花切手貼る日のくるぶしが軽い」は好きだが、これまた選者しだい。

そんなことを思っていたが、結果はその二つが天に抜かれた。
天に抜かれるとは、投句された中で一番良いと選者に選ばれること。

お陰で、「市長賞」「奨励賞」をいただいた。
賞はまぐれだが、励みになる。「またやろう」という気にさせる。

しばらく川柳から離れられないだろうが、今はそれでいいと思っている。
さて、今日は、今からJA愛知中央 安城地区の収穫祭。そして、隣接するデンパークへ。

一年ぶりのデンパークが、今年はどんな顔をしているだろうか?
今,にわかに思い出したが、「真ん中」の題ではこんな川柳も作っていた。

 花嫁を真ん中にコスモスの海

先日、デンパーク正面入り口前の海のように広がるコスモス畑で、ウエディング姿の花嫁、花婿が写真撮影されていた。その場に偶然通りかかったのを幸いに詠んだのが上の句。

案外この句の方が受けが良かったかもしれない。
ともあれ、デンパークが楽しみだ!


夜の風車                   デンパーク入り口



2009.10.24(Sat)
大浜てらまち俳句ing

日曜日、碧南市観光協会主催の「大浜てらまち俳句ing」に参加。
十幾つかの寺々や大浜陣屋、味醂工房などを散策しながら、俳句に親しんだ。

作句したのは、恥ずかしながらこんな句。

 木犀のそこだけ光あつまれり

 秋蝶の空まで飛んで戻りくる

 海からの風に爆ぜるや石榴の実

選者・二村典子さんが、「海からの風に爆ぜるや石榴の実」を天に抜いてくれた。
おかげで、初投句にも関わらず特別賞(選者賞)を得ることができた。

ところで、「二村典子さんとはどんな人なのだろう」ということが気になった。
新進気鋭の俳人には違いないが、見るかぎりでは四十台半ばの色白の美人。

どんな句を作る人なのだろうか?ネットで調べてみると、これが面白い。
俳句とも川柳とも区別がつかぬ句を作る人だ。以下は、二村さんの句。

  抱き合って亀落ちてゆく春の海

  緑さす胸触れられて軽くなる

  振り向かぬ母ととんぼとかくれんぼ

  柳絮舞い耳のほとりに憩いけり

  半身を寒満月にからまれて

  朧夜の肌にはりつく千の泡

  紙袋二つ重ねに春運ぶ

そういえば、二村さんに次の句があった。「ようやくに母の呪縛の石榴割れ」。
これが頭をよぎったのだろうか?そうであれば、ラッキーだった。

また、「西日さす角を曲がればブリキ店」も見つけた。
かって作句した、「帽子屋の角を曲がって南風」と何と似ていることか?

感性が似通った者同士が、投句者と選者となって同じ空間を共にしたのかもしれない。
こうして、二村典子さんは少し注目していきたい人となった!


石榴の実

   大浜てらまち俳句ing はこちらです。

   http://www.city.hekinan.aichi.jp/KANKOKYOKAI/haiku/haiking/haiking.htm



2009.10.10(Sat)
川柳七句

吃音少し僕に何かが欠けている

恋しくて光あつめている落花

逢えぬ日のおとこ心を深くする

柔らかなひかりで脇を甘くする

窓辺からやがて崩れてゆく思想

追伸に君のあしたが描かれる

本当の手紙になった墨のいろ



2009.09.12(Sat)
川柳七句

小さい愛温めていたい糸電話

標本にするとフツウの人ですね

除草して風がすこうし甘くなる

止まり木でお休みなさい火の鳥よ

粉飾の思想を麩のように千切る

ひまわりの迷路に漏れる鼻濁音

明鏡止水 雨がこころを裏返す



2009.08.30(San)
この秋は不況太り

蝉時雨が、一時の勢いをなくしている。夏の終わりなのだ。
しばらくは残暑に追われるが、風は確実に秋の風に移行している。

しばらく夏の隣で待機していた秋風が、少しずつ頬に涼しくあたるようになった。
雲を見上げると、季節の移ろいがよく分かる。ふうっと吹くと、すぐに飛んでいきそうな雲だ。

昨夜、長男坊といつもの焼き鳥屋へ。相変わらずホッピーのぐい飲み。
いい歳をして、父親はいつまでも若いつもりでいる。

焼き鳥やまぐろの中落ち、サーモンなどの刺身、サラダ、そしてまた焼き鳥と・・・
次々に平らげていく。ホッピーのお変わりを三度。その後は、〆の塩ラーメン。

深夜の飲食は身体に悪いと知りながら、平気で若ぶっていく。
これでは、中性脂肪のやや高い身体を蝕んでいくばかりだ。

昨今の巷では、「不況太り」という言葉があるそうだ。
不況がきっかけとなって、人々の体重が増えてしまう現象らしい。

原因は諸説あって、不況のイライラで、つい甘い物を食べてしまうとか、安くて満腹になるインスタント食品や炭水化物で食事を済ませるケースが増えているとか。

やはり、何かが異常なのだろう。ついこの間までの過度の豊かさが誤りだったのか?
まだ時折、蝉時雨が聞こえるが、聞き耳を立てなければ耳に入らなくなった。

今年は、秋が異常な速さで接近している。
いや、もう秋になっているのだろう!



2009.08.15(Sat)
川柳七句

ハミングで蒼い時空を超えてゆく

花図鑑のどこか隠れている君よ

観覧車揺らして風はあのひとへ

時々はおんなが匂うオルゴール

風下に立つのは今日も母だろう

君と今おなじ笑いの中にいる

夏日から風が無言で待機する



2009.08.08(Sat)
桃源郷行きの『ま・く・ら』    

時折、書棚に飾られた本を手にとって眺めることがある。その本を開くわけでなし、カバーだけを見つめている。読み終えたばかりの本であれば、余韻を噛みしめる行為であるし、何年か前に読んだものであれば、そのときの印象を思い出す儀式であったりする。

思いがけずいい酒に出会ったとき、そのボトルに頬ずりするように、いい本にもささやかな視線を投げ掛けてあげたい。カバーは、その本の象徴だから、作者の顔や意図が見え隠れするものだが、それは読後に初めて分かるものだ。

当代の落語名人、柳家小三治が本を書いた。
噺家としての時間という、身銭を切った言葉の修業は、本を書くにしても充分な成果を作り出すが、ナイーブを絵に描いたような小三治が「本作り」とは、どういう風の吹き回しか。

しかし、タイトルを見てピーンときた。
タイトルは、『ま・く・ら』と『もひとつ ま・く・ら』(講談社文庫)。

カバーデザインを南伸坊が担当。いずれの本にも枕がひとつ写されている。
「福徳陶枕」と「い草角枕」だ。

「小三治は首痛解消のため、寝床の枕元に常時二十ほどの枕を置いているというから、これらは、枕と睡眠についての健康本なのだ」と早合点してはいけない。     

「まくら」は噺のまくら。落語のイントロである。ストーリーに入る前に軽く短く喋る。
しかし、小三治はまくらをみっちりやる。
身辺の出来事を温かな目で見つめ、四方八方から、そのユニークな大鉈を振りかざしていく。
ふたつの本は、そうした小三治独自の視点を集めた作品集なのである。

本を手にすると、文庫本でありながら、枕になるほど分厚い。
薄くて活字の大きいスカスカの本が喜ばれる昨今、小三治のそのナイーブさがそうさせるのか、売れることを粋に思わぬ魂が採算を度外視させるのだろうか。

ふたつ重ねれば高さとしては申し分ない。
真夏の昼下がり、扇風機の弱い風に当たりながらうたた寝するには最上だ。
ときに桃源郷へ誘ってくれる。

山谷俳句会が小三治噺に登場する。
ドヤ街の簡易旅館の一室で毎月開かれる句会だ。
二百円の会費で誰でも句会に参加できる。

二十数年の記録がすべて大学ノートに残されている。
十七、八年前に、ある俳句会で断トツだった句がある。
それを作った人は、今は句会には来ていないが、どこで何をしている人なのだろうか。
それを追跡するというドラマがあった。

方々調べて突き止めたところ、新宿の地下道で段ボールを周りにめぐらして、横になっているホームレスの人だった。

インタビューした。

「この俳句作ったの、覚えてますか」

「いやぁ、おぼえてねえな」

「今やってますか」

「ま、ときどき考えることもあるけどな。やってねえやな」

「この句はどうやって作ったんですか。どんな状況です?」

「いやぁ、そら覚えてねえから」

「あたくしはね、ときどき、まあ新宿の住人ですから、新宿の地下道はよく見ますし、あの、こう、なんか避けて通りたくなるような、いるんですわ。ええ。

ところがその中にね、そういう隠れた名人がいるとは思いませんでしたよ。
佳い句なんです、この句が。

山谷で十七年前のこれが一番になった句ね、毎日、日雇いや何かして暮らしてるわけでしょ。
でー、仕事もらえた人はいいけども、もらえない人は、区の事務所だか、国の事務所だかに並んで、その日のあぶれ手当ってのをいくらかもらって、で、インスタントラーメンと、なんか、っていう。 そんなものを食ってしのぐんですわ。

そういうような暮らしをしている。
それがね、見事に出ていましたね。

  弁当の数だけの土工霜柱

っていうんですよ。こーれはびっくりしちゃってね。
“弁当の数だけの土工”っていうところに、そのやっともらえた仕事、しかも弁当がもらえる。

なかなか弁当をもらえるなんていう仕事はめったにないかもしれない。
だけども、やっぱり弁当の数だけしか土工はいない。
土工の数の弁当が並んでいるのが見えます。

世知辛さ仕事の厳しさ、そういうものがぜんぶ織り込まれてね。
そんな理屈より“弁当の数だけの土工”と言い切った凄さ。
本当に体験しているものだけに言い切れる表現。力強いですねぇ。たくましい。

土工でズバッと切っておいて、“
霜柱”という二文字をドカッと据えた凄さ。
まいりました」 

小三治が真に感服している姿が浮かぶ。
私にとっての桃源郷は、実はホームレスに身をやつした土工の姿である。

多羅尾判内の「七つの顔の男」ではないが、(林家木久扇の声色で)「ある時は○○、またある時は××、しかしてその実体は・・・!」(ここで名乗りを上げる)。
かつての土工が、片岡千恵蔵こと藤村大造に見えてくるではないか。

ホームレスの中には、陶淵明やディオゲネスが一杯いることを、この噺は教えてくれる。

古代ギリシアの哲学者のディオゲネスは自足の生活を送り、樽の中に住んでいた。
ある時、アレクサンドロス大王がやって来て、「望みがあれば申し出よ」と言葉をかけたとき、放った返事が、「ちょっとどいてくれ。おまえがそこに立つと、わしが日陰になって困る」

かくして、『ま・く・ら』は、私にとっての座右の書となった。
いつでも桃源郷へ誘ってくれる。
ときに、心のうらぶれを開放する上等の枕なのである。   

                                     (刈谷文協文芸誌「群生」寄稿)



2009.07.11(Sat)
川柳七句

秘め事をひとつ抱えてカンナ燃ゆ

黎明の窓辺にやがて射す西陽

熱のある夜は寓話の水を飲む

銀河なら溺れることも厭わない

汗拭う悲しみひとつ消してゆく

微熱に慣れて白桃熟れはじめ

頼りない日々を華麗に掴み取る



2009.07.05(San)
作品集「はらわた」

月曜日、先週このページで紹介した浅利猪一郎さんの作品集「はらわた」が届いた。
句集だと思い込んでいたが、エッセーもいくらか添えられており、作品集ということだった。

句もさることながら、エッセーが良い。文章全体に詩情が込められ、ややもすると乾きやすい紙面をいつまでもしっとりさせている。この人は根っからの詩人なのだろうか?

 ひとは何かの機会によってこころを入れ替えることが出来る。
 さっと身構える習癖もいつか不要な日が来るだろうが、毎日晴天という訳にもいかない。

 ただ、いつも嵐ということもない分救われる。
 これも神様のお陰かもしれないね。

 風穴とはおつな表現。振り返る思い出も、未来への不安も心のどこかにある風穴をするりと
 通り抜け、現実という多忙な道へと戻してくれる。

 膨張するやわらかい思いの大きさを包み込むように。

句では、下のものが好きだ。

 月下美人日向に咲けぬ罪を持つ

 人肌の温みに爆ぜる石榴の実

 何を怒っているのかカンナの燃え具合

 まずひとつ近い処から夢を喰う

 はらわたを喰らう真冬の鼠たち

意味不明?という人は、ご連絡ください。
手取り足取り解説します!



2009.06.27(Sat)
句集「はらわた」

木曜日の中日新聞・朝刊に、敬愛する川柳作家・浅利猪一郎さんの句集が紹介されていた。
句集の題名は「はらわた」。自分の中のあらわなものを表したのだ。

 人間と呼ばれ欠陥品である

 巻き戻すたび美しくなる母よ

 反骨のペン筆圧が強くなる

の三つが新聞に登場している。

浅利さんは、「川柳きぬうらクラブ」(半田市浜田町)の主幹。昨年大病を患い身内の死にも遭遇。大きな闇を体験したため人生観に変化が起きたという。

早速、句集を注文した。どんな句に出会えるか、今から楽しみである。ちなみに、「川柳きぬうら」2007年11月号が手元にあるが、浅利さんはこんな句をしたためている。

 生傷が絶えぬ 男の盛りとか

 紫煙揺らすのは想いに焦げる風なのか

 メダカでも蟻でもいいさ本籍地

 落丁のページにあったのが素顔

 ただ酒は美味いね ワイン試飲会




2009.06.13(Sat)
川柳七句

眠る子に明日は見せたい青い空

リセットをしたい雨脚遠ざかる

木漏れ日のように天使が降って来る

なりゆきの恋でもいいさ南風

抱いた子の乾かぬ翅が愛おしい

雨の傷クレヨンの雨もっと降れ

事件簿に哀しい恋が仕舞われる



2009.05.24(San)
祈りの季節

窓から冷たい風が流れてくる。半袖の身には、少し寒い。
初夏の風も、夜はいくぶん冷気を伴い、西から流れてくるようだ。

昼は、散歩がてらお好み焼き屋の暖簾をくぐる。肉玉をひとつたのむと、甘辛のソースの匂いが鼻をくすぐる。鉄板の上で、幸せの時間を焼いているかのようだ。

水曜日、久しぶりに体重が六十`台になった。
十数年ぶりだろうか、日課である早足の歩行がようやく効いてきた。

酒を止めれば目方などすぐ減るが、酒を止めるくらいなら人間を止めた方がいい。
そんなことを本気でうそぶいているのか、自分でも分からない。

やや中途半端な季節は、時の流れに身を任せていくしかない。
「他力」に身を委ね、静かに祈ってさえいればいい。

何に祈るのか?太陽、空、風、樹々、花々・・・・。
やっぱり綺麗なお姉さんに祈りたいが・・・・。



2009.05.17(San)
飛騨の旅

聞きしに勝るいい町だった。山間の町はどこかしっとりしていて、それでいて艶があった。
営々と積み重ねられた歴史のなせる業だろう。

飛騨高山・・・・そして、飛騨古川・・・・五月の連休を利用しての家族旅。
まだまだ桜が見頃で、高山の川添を歩いていると、落花の舞に遭遇した。

物の本にあるように、高山は飛騨牛の里だ。町のいたる所に牛の串刺しが売っている。
それから、みたらしだんご、塩せんべい、高山ラーメン。

町中に地酒蔵が多いのには驚いた。日常で普通に聞く蔵元があって、「あの酒はここで造ってたんだ!」という郷愁に似た気持ちが湧いてきた。

おそらく町並の骨格を作っているのは、こうした酒蔵の土塀なのだ。
これが、町に潤いを与え、旅人の心を掴んで離さないのだろう。

「本陣 平野屋別館」に居を構えて、さて出陣。一人ぶらっと居酒屋に立ち寄り、地酒を酌む方が旅の情緒はあるが、高山の素の顔を家族で歩いて見るのも楽しい。

翌日は、飛騨古川。郡上八幡に似た水の町だ。ここでの名物は、三寺参り
三つの寺に参り、瀬戸川沿いにかざした灯火に向かって男女の出会いを祈願する。

冬の幻想を余すところなく伝えていくならわし・・・・今年もまた、恋のご利益はあっただろうか?

帰りのJRの社内、高山駅前で買った「高山地ビール」に酔いしれた。



2009.05.09(Sat)
川柳七句

移り気な花の匂いをラップする

紅を引く花はいのちを思うのか

少しずつおとなになれる南風

あの頃の翅をくすぐる風の街

初めてのお使い夕陽との出会い

あした出てゆく町に恋唄ながれ

幸せにときどき出会う風の位置



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